グンマーの愛称で知られる群馬県。
そのグンマーにネットで「群馬県」と書かれた県境標識の隣にある「関係者以外立入禁止」という衝撃的な看板で一躍有名となり、秘境でありながら観光地のような存在の場所があるのをご存知だろうか?
毛無峠と小串鉱山跡
場所の名前は「毛無峠」。群馬県の嬬恋村にある峠の名前である。県境のすぐ北側は長野県高山村となっており、県境を跨ぐ形で長野/群馬県道112号大前須坂線が通っている。
が、毛無峠の南側、即ち群馬県道112号線は廃道状態。各種地図上でもその道路は途中でプッツリと途切れている。
更に南側へ進むと小串という硫黄鉱山がありかつて栄えていた。海抜1600mを越える高所に、最盛期は2000人もの人々が暮らしていたと言う。
今回はその毛無峠へ相棒TTで行き、その先の小串鉱山跡を探索した時の記事を書きたいと思う。
グンマー代表、「毛無峠」
初っ端からインパクト大な青看板
現在地。毛無峠より遥か北側である、分岐点にいる。
まずは長野県道112号線と長野県道466号線の交わるY字路・・・なのだが、異様な文言が頭上の青看板に刻まれていることにお気付きだろうか?
「小串 毛無峠 行止まり」
青看板に「行止まり」て・・・・。何ともインパクトの強い青看板である。このY字路を右に入る。
Y字路に入ってすぐの道路風景。
県道というよりは林道と言った感じが強いか。
道は思った程荒れておらず比較的走りやすい峠道。深夜や早朝はワインディングを楽しみたいならオススメだ。
時々視界が開け霞がかった遠くの山々が見渡せる。
霧が出てきた。毛無峠付近は濃霧が発生することでも有名で、スッキリと晴れている景色を拝めることの方が稀、と言っても過言では無いくらいだ。
そして・・・いよいよ国境が見えてくる頃合いになる。
グンマー国境、毛無峠
国境、もとい県境との距離が縮まるにつれ、極度の濃霧は身を潜めていき、うっすらとした空の青色が垣間見えて来る。
が、ここで不知火はとある素直な感想を抱いていた。
あれ?ここ日本?
何だかとても今いるところが日本国とは思えない。
霧の向こうは別世界・・・なんて在り来たりな設定がここではピタリと当て嵌まっているように感じて、驚嘆にも似た、感動の念に支配されつつあった。
遠くに見える鉄塔は索道跡、つまりロープウェーの支柱だ。
かつて小串鉱山で採掘された硫黄を搬出し、鉱山街の様々な生活物資を運ぶ為の重要なライフラインであったのだ。今では索道跡も朽ち果て、幾本かが残されているのみとなっている。
何より、特筆すべき風景・・・それこそが、
おお・・・・・
すげえ!!なんだこの壮大な景色は!!
丘を登り上から遠望。大パノラマが目の前に広がり、さながら異国の荒野といった感じ。
ここからはダートだ。例え小さな段差でもTTにとっては命取り。腹下を擦らないよう注意しながら進む。
そして、ついに現れることになる。
「未開の地 グンマー」と呼ばれるきっかけとなった県境+注意看板の光景!!
改めて見ると凄い眺めである。もはや情報量が多過ぎて初見ではとても思考が追い付きそうにないからだ。
実はこの場所、とても気に入っていて軽く10回は訪れている。
秘境好きな僕にとってはこれ以上に無いくらい絶景だからというのは言うまでもない。
ではここで、TTがどこまで行けるのか試してみたいと思う。
チャレンジ!TTアタック
まさに至福の瞬間である。
地図上では道になっているが実質廃道。ガードレールも標識も何も無い道路が県道として作られ、小串鉱山まで車両が行き来していたと思うと胸アツである。
ゴツゴツとした石の道だが案外サクサク進める。どう考えてもアウディTTが進むべきではないデンジャラスな道だが、そんなの関係ねぇ!!不知火は相棒TTと行けるところまで行くのがポリシーなのだ。
まさに雲上の廃道とでも称するべきだろう。霧とも雲とも見分けが付かない水蒸気が目の前を幾度も横切り、究極的なまでに秘境臭を漂わせている。
道幅は狭く操作を誤れば谷底へ真っ逆さま。とはいえ、幅員はほぼ2mを確保されており、よほどのことが無い限り転落することは無い。が、自信が無いのであれば決して進むべきでは行くべきでは無い。ここに限らず、秘境は難易度が高い場所が多く、生半可なスキルで挑めば命の保証は無いのだ。
カテゴリ的には廃道に分類されるこの道路だが、日本三大酷道の中でも最凶と謳われる岐阜県の酷道418号線八百津ダート区間に比べたらこっちの方がずっと走りやすい。あそこのダートの方がよっぽど廃道じみていると思う。
頭上に聳える荒涼とした壁面がインスピレーションを掻き立て、次々に「絵」を撮らせてくれる。
日本離れした光景、赤茶けた道路、深緑の山並み、行き交う霧雲・・・お気に入りに一枚である。
感無量の一言に尽きる。僕はこの「絵」を撮る為に今日まで生きて来たのでは無いだろうかと思う・・・のは流石に大袈裟だが、僕が今までTTと駆けた秘境の中で最高の写真であることに違いない。
この後の道を少し歩いて観察したのだが、流石にこれ以上はTTで進めないと判断し、バックで転回出来る地点まで戻りゲート手前に駐車してきた。ここからは徒歩で毛無峠を行き、小串鉱山跡を目指す。
荒涼の極地、小串鉱山跡
九十九に次ぐ九十九、ジロー坂
長靴に履き替えダートの廃道を下って行く。道幅は先程より狭まり、脇から伸びる植物が更に道を狭くする。
地図で見ると九十九折れが連続しており、「ジロー坂」というヘンテコな名前が付いている。
下れば下る程霧は深くなっていき、秘境感が増してきた。いよいよ小串鉱山跡へと突入する。
終末の地
・・・・・・・・異世界かな?
待て待て待て!そんなはずないだろう!ここは紛れもなく日本国だ。とはいえ、世界が滅亡した後の「終末の地」と評しても何ら遜色無い。
兎に角、鉱山跡への入口に辿り着いたのだ。樹木が育たず土が剥き出しになっているのは、精錬時に発生する亜硫酸ガスが吹き付けられ、樹木が枯れてしまったからである。閉山から半世紀近い年数が経過したにも関わらず、未だ植生が復活しないことは、如何に鉱山ガスが自然に影響を与えるかということを物語っている。
小串鉱山跡へ到着したところで地図を見て頂こう。これは後述の地蔵堂に置かれていた石碑の地図をトレースし、文字を書き加えたものである。石碑では南北が逆転していた為、北を上に直している。誤差はあると思うがご容赦頂きたい。
地図を見る限りかなり大規模かつ、充実した鉱山村だったと分かるだろう。
ここで、改めて現在地。
グンマー国境・・・もとい長野群馬県境を南に下って行き、ジロー坂なるくどいまでの九十九折れをパスし、小串鉱山跡に踏み込んだことになる。
「こりゃ遭難注意地域にもなるわ」と独り言ちる。当然GPS機能をONにして地図を見ながら歩いている為、迷うことは無いのだが、安易に立ち寄れる場所では無いのは間違いない。
てっきりモン〇ンの「砂漠エリア」かと思った。突拍子も無く奥から出て来たモンスターとエンカウントしても不思議じゃない。いや、そんなの絶対にゴメンだが。
斜面を滑り降りて行く。
意外と土は霧で濡れているからか歩きやすい。
トラックが朽ち果てていた。鉱山での物資の運搬を担ってきたであろうトラックも今では役目を終え、廃車として自然と同化しようとしていた。
ドラム缶とタンクのような物。かつては飲料水を溜めておく為に使われたのだろうか。
高標高+雨+霧=遭難一歩手前
え・・・・ちょっとぉ!これはあんまりでしょ!!無慈悲である。ここまで来た苦労虚しく、濃霧に遮られうっすらとしか今回のホシ、坑口跡が見えない。何の為に前日21時に千葉を出発し、下道オンリーでここまで来たというのだ・・・。TTを県境先まで進めて撮れただけでも収穫と言えば収穫ではあるが、折角なら坑口跡も見てみたいではないか。
更に、泣きっ面に蜂。非情にも雨。
夏場とはいえ標高1600近い場所での気温は20℃前後。加えて雨が降ってきたことにより急速に体温が低下してしまう。携帯食料を口にしながらじっと降雨が収まるのを待つ。
だが一向に雨は収まらず体温は低下する一方。やべえな、このままだと僕も「遭難しないでしょ(笑)」なんて言えなくなってしまう。
何か良い物は無いか・・・と辺りを見回すと一本の松の木が。雨を凌ぐには丁度良く、有難く身を寄せさせてもらった。ありがとう!松の木!
雨は収まらなかったのだが、弱まったので探索を再開することにする。
封鎖されたかつての坑口
ズズズズズズ・・・・・と、今にも不気味な音が聞こえてきそうである。
明神鉱床へと続く坑口だ。遠景で撮ろうとしても霧が晴れないのではどうしようもない為、近寄って近景を撮影したところ、霧が良い塩梅に重厚な雰囲気を演出してくれた。
かつて坑内に潜り硫黄を産出する為に使われた坑口は当然埋め戻されており、内部は確認出来無かった。確かにこんな有名な毛無峠先にある廃鉱山、安易に坑道を放置してろくすっぽ探索の経験が無い素人が入り込んでしまえば大事である。
今いる地点は明神坑口跡で、斜面すぐ下には倒壊し骨組みだけが残された選鉱所跡が建っている。まだ「精錬所跡」は写真に写って来ていないが、この後すぐ紹介する。
天空に浮かぶ廃鉱山
しばらくして雨が止み、霧も薄れてきた。やや離れた地点から鉱山跡を撮影した。それが・・・
御伽話に出てくる世界のようじゃないか!!天空の廃鉱山と呼ぶに相応しい・・・。何故こうも秘境というのは美しいのだ。
左に見えるのが選鉱所、右手に見える円形の遺構がシックナーという廃水処理施設で、先程地図にちらっと出てきた「精錬所跡」があったのも恐らくその辺りになると思われる。
坑口と選鉱所跡をアップで撮影。まるでギリシャで見かける神殿みたいだ!
真っ先に思い浮かんだのがパルテノン神殿。アテナイの守護女神でありオリンポス十二神の一柱でもあるアテナを祀る神殿である。よくよく見ると似ても似つかないが、僕が感じた雰囲気はそれであった。
小串の風景もなかなか捨て難いが、滋賀県にある土倉鉱山跡もかなりのものである。いや、個人的に土倉の方が心奪われたかもしれない。どのような場所か是非以下記事でご確認頂きたい。
さっきも書いたが、荒廃した風景は人類滅亡後の世界のように思えて仕方が無い。
右手奥には廃墟も確認出来たのだが、既に時間は昼過ぎ。この後に回りたい場所もあった為、これ以上先へ進むのは日を改めよう。
小串の悲しき歴史、山津波
最後に近くにあった小さな御堂へと立ち寄ってみる。
扉を開け中に入ると仏様が置かれていた。
在りし日の姿を伝える貴重な資料も保管されている。
時計が設置されていたが時間はほぼ正確、きちんと管理されているようだ。
また、御堂から程近い所に「殉難の丘」がある。ここは1937年(昭和12年)11月に発生した「小串山津波」、つまり地滑りによって245名の方が亡くなり、慰霊の意味を込めて作られた場所である。
地図中央情報に書かれた「昭和12年11月大地滑り発生源地」という箇所から発生し、赤く塗った箇所がおおよその被害箇所で、規模としてはかなり大規模なものだった。村の大半を飲み込んでしまっている。
決死の大捜索にも関わらず、何名かの遺体は発見出来ず今もこの丘に眠っているという。僕は鐘を鳴らし、静かに手を合わせ、この地を去ることにした。
終わりに
周囲に民家の一つも無い上、日本国とは到底思えない程に渺茫とした大パノラマが望める絶景。
普通車でも何ら苦を労すること無く、手軽に訪れることが出来る秘境として名高く、それは不知火自身も疑い無く肯定するところである。
歴史の詰まった毛無峠先にある小串鉱山跡、またいずれ探索してみたいものだ。
終
相棒TTと撮影したオススメスポットを地図にまとめています。
良ければ愛車と写真撮影する際の参考にして下さい。
記事内にイチオシスポットも挙げて幾つか紹介しています。
今まで訪れた秘境スポットを地図にまとめています。
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僕が行ったことのある観光地をマイマップにまとめました。
観光地についてもそれなりに行っていますので是非見てみて下さい。