いすみ鉄道で知られる大多喜町。
かの有名な戦国時代の英雄、本多忠勝が一時期拠点としていた大多喜城(現博物館)がある町でもある。
自然も多く、ひそかな観光地として知る人ぞ知る大多喜に、未完成のまま放置された廃墟が存在するのをご存知だろうか?
大多喜ダム
完成しなかった幻のダム
かつて大多喜町にはダムが作られる、はずだった。
ダムの名前はそのまんま大多喜ダム。沢山川に高さ32.5m、幅318mという巨大なアースフィルダムを作り、17万㎡という巨大なダム湖が出来る予定だったのだ。17万㎡というのは東京ドーム4個分の広さを誇る。相当に大きな湖が作られようとしていたと分かる。
房総半島は北を除く3方向が海に面していることから分かるように夏場は多くの観光客が海水浴をしに海へと集まる。大多喜から程近い勝浦には守谷海岸、鵜原中央海岸といった人気の海岸も多く存在する。その系譜は昭和50年代から続いており、当時この地域では毎年のように給水制限が敷かれていたのだ。南房総には充分なキャパシティを持つ河川が無く、渇水が多く起きていた。そのことを受け、大多喜にダムが建設し、水不足を解消しようと計画されたのである。
平成3年には建設が開始され平成8年には水没する道路の付け替え工事が始まる。のだが、平成23年3月4日を持って大多喜ダムの建設が中止されたのだ。これは建設計画当初に比べ水需要が不足しダムを建設しても大きな需要が見込めなくなってしまった為である。
赤紫色に描いた線が現状仮道路となっており、ダムが完成すれば水没、もしくは埋立られる運命にあった。厳密には下側の仮道路付近はバックウォーターに位置するので全てという訳では無いが、ほぼ沈んでしまうことになっただろう。
大多喜ダムはアースダムであることを利用し、下流側を埋立、レクリエーションを兼ねた憩いの場を作ろうとしていたようだ。もしも完成していればなかなかの観光施設になっていたかもしれない。
そして個人的に気になって仕方ないのは、4本の橋だ。実質4本共廃橋なのだが、厳密に言えば北側に開通のしていない未成廃橋2本、南側に開通した完成廃橋2本となっている。廃橋は廃橋でも一味違った廃橋を一度に4本も見れるとなると、探索前からテンションが上がり、ゾクゾクする。
今回はその残された未成廃墟を辿るレポートである。
現場に漂う放置臭
現在地はいすみ鉄道大多喜駅からさして離れていない西部田(にしべた)。この場所はダムからすれば下流側に位置し、ギリギリ水没を免れる地域であった。
これはもったいない
未成道の先に民家があった。標識指し示す通り、この先はT字路となる予定であり、左側は道となっている。恐らくこの簡易バリケードはここに来たドライバーが不用意に入ることを避け、設置されたものなのだろう。
良く見ると、芝生の上を自動車で通過した跡がある。確かに軽自動車なら楽々通行出来るだけの幅になってはいるが、マジでギリギリである。タイヤ痕で縁石と電信柱スレスレならミラーを畳んでも擦るはずだが。ここまでのリスクを負いながらも通過したツワモノは一体・・・。やはり住んでいる方だろうか。
ちなみにたまたま民家の方が家に帰られたところを目撃したのだが、この轍の場所は通らず、一つ上の写真のバリケードをどかし、車を先に進めてから再度バリケードを元に戻していた。僕ならめんどくさくて取っ払ってしまいたくなる。バリケード設置するより、看板に「この先行き止まり」とデカデカ書いた方が分かり易くて良い気もするのだが・・・。
ドデーン
幅員一杯にガードレールが置かれていた。正直ここまでしなくても良い気がするが。見れば未成道路だって分かるし。
潜入!未成廃墟
早速相棒TTで先へ進んでみる。通行注意と書かれた看板があり、先には工事をしている車両が散見された。徒歩はいいとしても、こんなどう見ても場違いな一般車両が入って何か言われたりしないか冷々したが、こちらを一瞥しただけで、特にこれといったことは無かった。
十字路を左折する。右側は先程出てきたT字路にもなっていない場所に繋がっており、実質三叉路に近いか。
待避所である。
道としては幅員3m程。白線を無視し、ギリギリまで左に寄れば普通車は交互通行出来るだろうが、それはもはや交互通行ではなく離合だ。一般的に車両同士が車速を落とさず交互通行することはほぼ不可能である。その為随所に待避所が置かれ、片側交互通行をするように処置がなされている。
完成廃橋2連発
廃橋1本目!!早速現れた完成廃橋だ。
柳堀橋。橋の銘板に寄れば読み方は「やなぎぼりはし」。右側へ緩やかにカーブした開放感のある橋だ。
これまで走ってきた付け替え道路と同じように一車線道路となっており、交互通行は厳しい。ただ、見通しが良い上、幅員も充分な為仮にダムが完成し、一般道として利用されたとしても、ドライバーがバックに気を使う事は少なかったはずだ。
柳堀橋を後にするとすぐに2本目の完成廃橋が現れた。これは?
獅子ヶ口橋というのが本日2本目となる完成廃橋の名で読み方は「ししがくちはし」である。
どうでもいいが、何とも酷い写真の撮り方だと振り返る。僕が大多喜ダムを始めて訪れたのが2015年1月。この頃は一眼レフを所持しておらず、スマホのカメラで撮影していた。加えて撮影テクニックもあったものではなく、アングルも雑である。
赤茶色のアーチが特徴的なこの橋、どう見てもアーチ部が無塗装で、恐らく耐候性鋼が用いられている。
別名コールテン鋼とも呼ばれており、無塗装状態でも丈夫でメンテナンスや塗装の費用が削減出来る優れた鋼材である。ただ、素人目には錆びまくっているようにしか見えない為、公共の場所などに設置する際は塗装を施すこともあるそうだ。施工当初は錆びていない為、耐食性はさほどでも無いが、年数が2~4年程経過すると保護性錆が形成され、錆びは進行しなくなるのだ。
良い廃スポットじゃないか・・・。思わず独り言ちてしまった。誰も来ない廃道、廃橋へ相棒と赴き、心行くまで撮影することが出来るのだ。嬉しくないはずがない。
大多喜ダムへは同年3月にも訪れており、よくよく見るとTTのホイールが異なっているのが分かる。車を買った時に着いてきた245/45/R17の7Yスポークホイールでは面白みがなく、また赤く塗装したブレーキキャリパーがイマイチ目立たなかった為、ヤフ〇クで購入し、2018年現在でも使い続ける愛用ホイールとなった。今回のレポートは1月と3月に訪れた際を交えてお送りする為、旧ホイールと新ホイールのTTを写した写真が脈絡無く交差するが、ご容赦頂きたい。
走ってきた2本の橋の場所を地図に示してみる。ダムが完成していればモロダム湖の上に架かる橋ということになり、壮大な眺めとなっていたことだろうな。
突然終わる舗装路
先へ進もう。獅子ヶ口橋を後にし、変わらぬセンターラインの無い舗装路を走っていく。右手はちょっとした広場になっており、桜が植えられている。目を瞑るとダムが完成し、春に桜を見に訪れる家族連れの様子が浮かぶようだった。
T字路を示す標識。って、ん?白飛びしていて良く分からないがこの先、もしかして・・・
チーン・・・。舗装終了。唐突に、本当に唐突に道が終わった。
本当であれば左右に舗装された道が設置されるはずだった。しかし、その両方とも未舗装で、左の道に至っては畑のような場所に繋がっているのみで、完全に道は消滅してしまっている。
改めて舗装部分と未舗装部分を観察してみる。道路ってのはこうも唐突に舗装が終わるものなんだな。貴重な光景と言えば貴重である。
今走ってきた道の方を撮影。で、反対側が、
・・・・・・・・虚しさ全開である。
現在地。これからは赤紫色で示された水没予定だった仮道路を歩いてみよう。
おお、ダートになったぞ。車両が通行した轍があり、細かな砂利が敷かれている。
振り返ると先程通った完成廃橋、柳堀橋と獅子ヶ口橋の2本が見えていた。僕がいる場所はダム湖となり水没予定地だった為、実質湖底を歩いていることになるだろう。
しばらく幅員4m程度のダートが続き、一番始めに入ってきた入口まで続いていた。
山に突っ込む未成廃橋
さて、いよいよ橋自体が完成していない未成廃橋2本を拝んでくるとしよう。
一度入口に戻り、仮道路へと入る。
ダートの道を右に曲がる。
仮設橋を渡ると猛烈に怪しい雰囲気の道になった。仮道路なんだがから当然だが、圧迫感のある為昼間でもなんとなく息苦しさを感じる。
と、すぐに開けた場所へと変わる。右の方をなんとなく見てみると・・・
あれだ!未成廃橋!
間違いない、地図の位置関係からあれこそが2本ある未成廃橋の1本だ。一体橋の先はどうなっているんだ?
仮道路の割にはとても綺麗な舗装である。大抵工事用の大型車が通る事前提で作られているはずなので、ろくすっぽ舗装されていないか、ダートか、凸凹なのが普通のはず。
仮道路が終わり、付け替え道路に突き当たる。
まずは左側を見てみる。これまでの道路と違い、片側1車線が確保された立派な2車線道路だ。ダム計画が廃案となり、一般道として活用されることがなくなった今、究極的に無駄な道路と言えるだろう。
では右側は?先程チラッと見えた未成廃橋があるはずだが・・・・・・・・・
ん・・・・・・・?
え・・・・・
ええええええぇぇぇ!!!!!
道が無くなってるとか、そんなチャチなもんじゃねぇ、橋が山に突っ込んでやがる・・・・。
まさにビックリ仰天である。欄干まで設けられた立派な橋であるのに、その先は「山」で終わってしまっているのだ。
小滝橋(こたきはし)と書かれた銘板。植物に覆われ、この橋が未成であることを物語っていると言えるだろう。
更にこの小滝橋は他の橋と異なり、「大多喜ダム」と書かれた銘板も設置されていた。未来永劫完成することの無い、幻のダムの名がそこには刻み込まれていたのである。
実際、ダムが完成していた場合、小滝橋は堤体に最も近い位置に架かっていたはずであり、ダムを見渡すに相応しい場所と言える為、「大多喜ダム」という銘板が設置された訳も頷ける。
車道未開通、普通の橋、眺望不適と三拍子揃った不憫としか言いようのない悲しき橋、小滝橋。ただ一つ、「大多喜ダム」という架空とはいえ象徴の銘板が配されたことはこの橋に取って救われた、と言えなくはなかろうか。
ラスボス
さあ、4本の内、残る廃橋もラスト1本となった。はてさて、一体どんなお姿をしておいでなのかな?
なんて快走路だ!
すっげえ走りやすい。路面はフラットで最初の約200mはロングストレートだ。加えて一般車の通行は皆無の為、ぶっ飛ばし放題である。と言っても、すぐ終わってしまうのでゼロヨン(402m)にもならないが(というかやらないが)。
一人愛車撮影会。こんな感じで道路のド真ん中に車を停めても通行の邪魔にならない。素晴らしい。
あ、左になんかある。あれが最後の廃橋か・・・・・・・・・・・・・・はい?
( ゚д゚) ポカーン・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
タンマ。なんか変な建造物が見えた気がするが、きっと気のせいだ。幾ら何でもあれが最後の未成廃橋なはずがない。
よし、気を取り直してもう一度。今度はアップで見てみよう。
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
(;゚ Д゚) …!?
・・・・・・・見間違いじゃなかった。ガチで未成な廃橋がそこにあったのである。
なんじゃこりゃぁ!!!
もはや未成廃橋と呼ぶのも躊躇う中途半端な建築物がそこにあった。欄干も親柱も無く、ただ無味乾燥な橋脚と橋台、桁だけが鎮座していた。
「橋」そのものは完成していると言っても良い。実際対岸の山に到達はしている。だが、欄干と親柱が無いというのは何というか、未完成感が並外れている。
路面のアスファルトも車道が通れるまでの厚さまで舗装されていない。その証拠に写真に写る排水桝が舗装よりも高い。普通橋にある排水桝と舗装は高さが均一に近い。でなければ路肩に寄った際、桝が段差の役割をしてしまうからだ。
今来た道を振り返ってみる。さながら潜水橋である。潜水橋は欄干が無く、川の増水時などに橋そのものが川の水に沈み、川に流されるのを防ぐという一風変わった橋だ。ただ明らかに違うのは、水が橋の高さまで来ない事、そもそも車道として使われないこと、か。
千葉にも潜水橋はあり、かつては車両の通行も許可されていたが、とある一般常識の欠けたライダーが宣材を持ってきてバイクを洗車したという場違いな行いにより、一般車通行禁止となってしまったのだ。侵入してもよほど器物破損などを起こさなければ特に問題の無いこういった場所と違い、そこは近隣住民が生活用水として利用する川でもある為、水だけならまだしも、洗剤を持ってくるというのも考え物である。
僕自身秘境に車で乗り込むことはあるので世間的には大差ないのかもしれないが、近隣住民や一般車に迷惑をかけることは兎に角注意している。この場所は住民に迷惑をかけるのか、何が目的で禁止されているのか、などだ。まあ、車でなく徒歩であるにしろ、観光地でも無い場所に行くこと自体近隣の方に顔をしかめられるのかもしれないが・・・。
よし、お決まりのやつ行っとくか。
たっけぇ・・・・・・(冷汗
普段橋から見下ろすダム湖ってこんなにも深さがあって高いってことなのか・・・。軽く見積もっても20mはあるだろう。そりゃ怖い。
ついでに言うと、欄干の縁に立って歩いていた際、強風が吹き、このボルトに足を取られ、危うく下に落ちるところであった。くわばらくわばら・・・・。
ところで、橋の名前が分からない。そりゃそうだ。普通親柱に銘板が設置されている為それで橋の名前が分かる、が、この橋に至っては親柱が無い為知る由が無い。これは致命的か?
とりあえず橋の周辺を歩いてみる。すると・・・・
あった。
銘板は橋桁に取り付けられていたのである。沢山橋というのがこの橋の名前であった。恐らくこれまでの橋の呼び方からして「さわやまはし」と読むのだろう。
地図に4本の廃橋を書き込み終わりたいと思う。
ダム湖を架ける橋は完成したものの、堤体工事は着手されず、需要減少により廃案となった大多喜ダム。夢幻泡影の如く散った「観光地」の悲しき物語であった。
終
相棒TTと撮影したオススメスポットを地図にまとめています。
良ければ愛車と写真撮影する際の参考にして下さい。
記事内にイチオシスポットも挙げて幾つか紹介しています。
今まで訪れた秘境スポットを地図にまとめています。
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僕が行ったことのある観光地をマイマップにまとめました。
観光地についてもそれなりに行っていますので是非見てみて下さい。