【千葉県】【廃神社】オーラ纏う朽ち果てた儚き廃墟、大山祇神社

【千葉県】【廃神社】オーラ纏う朽ち果てた儚き廃墟、大山祇神社
 


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神。

 

日本神話においては八百万やおよろずの神々を指し、万物あらゆるものに神は宿るとされ、老若男女問わず、そして今日においても神への信仰は各地に根付き、崇拝され続けている。

 

その崇拝地として最も代表的かつ馴染み深いと言えるのが神社である。神社は云わば神様の御住まいであり、傷んだ箇所があれば補修し、古くなれば建て直すのが常で、習わしだ。神様でも、「綺麗な家に住みたーい」と考えるものだからだ(日本神話では天照大御神アマテラスオオミカミが「家(神社)がボロいから建て直して」と駄々をこねた話がある)。神社を管理することこれ即ち神様のコンディションを万全に保つ意味合いもある。で、あるからこそ、多くの人々は神社へ足を運び、神力をたまわることが出来るというものだ。

 

しかし、千葉県には手入れがされず廃墟となりながらも、未だ訪れる者が居るという廃神社があることをご存知だろうか?

 

大山祇おおやまづみ神社

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

大山祇神社おおやまづみじんじゃと呼ばれる廃神社は千葉県鴨川市天津に通る林道天津線を僅かに北上した場所に存在している。

 

一般的に大山祇神社、として遍く知れ渡っているが、正式名称は御嶽教大山祇教社おんたけきょうおおやまづみきょうしゃである。

 

元々は滑山ぬかりやまという山を信仰するという目的で滑山教会所として造られたのが始まりで、一時教会所は廃止され、その後御嶽教おんたけきょうを関東に広めるべく訪れた御嶽教団が御嶽教大山祇教社と名称を変え、今日に至る。

 

ざっくり書けばこんな感じだ。参考にさせて頂いた方のブログ記事に詳しく書かれているので、詳しく知りたい方はそちらをお読み下さい。

 

なお、地図についてはアバウトな周辺図のみとさせて頂く。理由としては廃墟とはいえ神社とは神聖なるものであり、あだや疎かにして良いものでは到底無いと考えるからだ。行きたい方は林道名と写真から割り出して欲しい。

 

さっぱり分からない入口

さて、本題に移ろう。現在地は林道天津線、その途中である。

 

天津神明宮という由緒ある神社を横に見ながら北を目指して行くと出てくるのがこの場所だ。

 

だが、どれだけ右側を凝視しても、それらしき建物は一向に見えて来ず、また、脇道らしきポイントも無数にあるので、一見するとどこが入口なのか判断に迷う。

 

マジで入口どこだよ・・・。

 

極低速になりながら、一人ぼやく。・・・実は正解となる道が上のドラレコ画像に写ってはいるのだが、このときの不知火は気付いていなかった。

 

しかし「大体この辺」というのは分かったので、ひとまず車を邪魔にならなそうな所に滑り込ませることにする。

 

ここで軽めの探索装備に着替え、来た道を徒歩で戻って行く。

 

ここかな?

 

先程ドラレコで写っていたポイント。しかし脇道から伸びる先に建物らしきものは一切目視確認不可の状況で、不安が込み上げて来る。

 

・・・・・何とも言えん。

 

脇道を登り、現地点から様子を伺うも、やはり植物に囲まれてしまい、「有」という確証が持てないでいる。

 

これで「何もありませんでした」では申し訳が立たず、不知火による華麗な「フライング土下座」を披露することになってしまうな・・・。

 

恐る恐る藪から奥を覗き込んでみる。すると、

 

 

何か・・・あるっ!

 

写真右側中央付近、ちょうど白い壁と茶の木枠のような物体が密かに見え隠れしている。

 

ご覧のように、怪しげな建物へ近付くには藪にまみれた獣道を切り開く必要があり、ブッシュクラフトを行いながら距離を詰めて行く・・・。


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幽境ゆうきょう沈みし泡沫うたかたなる廃神社

廃殿見守り鎮座す狛犬

藪に覆われた狛犬、半壊した廃殿。そこに有ったのは間違い無く、神物へ祈りを捧げる為に建てられた神聖なる神社だ。

 

林道からでは到底知り得ることの無い、日常生活から隔絶された、特別な空間がその場所に設けられていたのである。

 

「神社」ということもあり、狛犬は2体が向かい合うようになっていた。

 

しかし片方、今来た林道側から見て右側の狛犬は、ほぼ完全に藪の「衣装」に身を包んでしまい、よくよく見ないと全く分からない。

 

左側の狛犬、上の写真になるが、顔の辺りが上手く藪から逃れている為、訪れた方は「狛犬が向き合っている」と認識することが出来る。

 

重厚、神聖、廃神社

崩れ傾き危うき外装、建物全体に施された歴史を感じさせる建築様式、随所に残された拝殿としての面影、一般廃墟とは明らかに異なる重厚かつ神聖なオーラ。

 

これが「神社」という、神々を奉り、御力を賜る為に置かれた、参拝施設の持つ独特の雰囲気なのだろう。長い長い年月が経ち、多くの人々の記憶から忘却され、静かに自然に淘汰されつつも、今なお漂い続ける風格。不思議と気持ちが引き締められ、敷居を跨ぐという、行動に躊躇いを持たせるには充分過ぎる「廃殿」だ。

 

信仰への残滓ざんし

居住まいを正すように、気持ちを改め、拝殿へとお邪魔する。

 

開放感が溢れながらも、どこか物憂げな様子を振り撒く拝殿。

 

外装が崩落していることから、内部も風雨に晒され、あちこちに品が散乱している。

 

しかし不思議なことに、この拝殿は建物基礎の傷み具合が他と比べて緩やかで、何らかの「見えない力」により護られているのでは無いかと錯覚してしまうのだ。

 

そして拝殿の中でも取り分け目を惹くのはやはり右手に写る、麻縄と賽銭箱だろう。

 

まさに神社だ。麻縄は細いながらも紅白で彩られ、天井から垂れている。こじんまりとした金属製の入れ物は恐らく賽銭箱。ただ元からこのタイプだった訳では無く、他の方のレポートにおいてはきちんとした賽銭箱が設置されていた。

 

何者かによってあるべき賽銭箱は破壊され、誰かが代わりに小さな箱を置いた、と考えるべきだろう。

 

建物中心近くの梁は頑丈なようで、落ちたり傾いたりせずに均衡を保っていた。

 

何じゃこりゃ・・・。

 

拝殿から見て左手、そこには限界まで瓦礫が散乱した空間があった。一見するとその場所が往時、どういった用途で使われていたのか全く知るよしも無い、と思えるのだが、

 

奥に目をやると、御神酒、一升瓶、徳利が見て取れた。つまるところ、ここは神棚だったのだろう。

 

最盛期においては、多くの参拝者が来訪し、神棚には常に新鮮な榊や日本酒が捧げられ、美しく保たれていたはずだ。

 

脳裏をかすめる在りし日々

神棚より左側、外へと通じて居た場は障子のような枠組みを残し、崩壊していた。

 

青々とした植物が木の支柱に絡み付き、相当の年月が経過していることを物語る。

 

普段都会で生活しているとまず滅多にお目に掛かれない、何かの容器。

 

不知火のイメージではよく牛乳等を入れる為に出てくるアイテムという認識だ。

 

拝殿隣には押し入れ。中から布団が顔を覗かせている。

 

今となっては絶対に使っては成らない代物だが、賑わっていた時期は信者、或いは神主が寝泊まりしていたのかもしれない。

 

神棚と押し入れの間には、何らかの空間があった。

 

両脇は扉のような箇所が見えるので、引き戸になっていたのだと推測する。床の基礎も見当たらないし、物置のように使われていた場所かもしれない。

 

うっわ、もう頑張れば人通れるとか、そういうレベルじゃねーじゃん・・・。

 

拝殿横、奥の部屋とを繋ぐ渡り廊下の様子。

 

しっちゃかめっちゃかに荒れまくり、先に進むのは不可能に近い。というか、下手に触ったら、老朽化した柱→一気に崩落→生き埋め→119コールというあまりにも滑稽な自業自得フローを辿るハメに成り兼ねないので当然遠慮する。自然の力だけでこうなったのか、はたまた動物や人為的に寄るものなのか。

 

やっぱり居た房総の吸血鬼

ところで、場所は鴨川、その天津。

 

およそこの付近一帯は、アイツが生息していそうだと予測していたのだが、当日の気温は極端に暖かいという訳でも無かったので、出るか出ないか確信が持てずにいた。

 

※写真は別の場所です。

 

でもやっぱり、出たんだよ、ヤマビルが。

 

写真をひたすら撮っているときに、もしかしたらと思い、ふと自分の足を見るとニョッキニョッキとヤマビルが2匹、上を目指して登っていたのだ!

 

まるでヤマビルが「冬眠明けの新学期開始挨拶」でもしに来たかのように、出没。何とも礼儀正しく、謙虚にも思えるが、ぶっちゃけそんな気遣いはいらん。

 

ほげら~!とかいうくっそ情けない声は出なかったが、ヤマビルちゃん×2がそれなりのスピードでエッチラオッチラ登っていたので驚いた。

 

素早くポケットから塩を満タンにした調味料ケースを取り出し、ササッとヤマビルにひとふりする。動きが止まったところでデコピンし、瞬殺した

 

ついでに忌避スプレー(原料:ハッカ油+エタノール)を不知火の靴やズボンにかけまくり、寄り付かないようにもしておく。立ち込めるハッカ臭でヤマビルは近付くことすら無くなるので、大体行くとこ行くとこに生息するヤマビル対策として、房総探索では必須アイテムと言えよう。

 

不知火は喫煙者でヤマビルの天敵ニコチンが体内にこれでもかというくらい残留しているはずだが、ヤマビルが寄って来ることは寄って来るのだと知った。恐らく吸血されはしないだろうが、それでもヤマビルが嫌いと思うのはやはり人間真理なのだろうか。

 

終わりに

遠い昔、多くの信者で賑わい、栄えていたであろうこの神社。

 

それも今となっては朽ち果て、廃墟と化してしまっている。

 

しかしながら、空間に漂う居心地の良いオーラというのが不思議と感じられる気もする。理由はきっと、この廃墟が一般的なものと異なり、「神」が宿る場であったことに起因するのだろう。もしこの地を訪れることがあるのなら、くれぐれも不作法な振る舞いをせず、粛々とした気持ちで行って頂きたいと願うばかりである。


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