【埼玉県】【廃城】威厳放ちし滅び落ちた天守閣、天神山廃城

【埼玉県】【廃城】威厳放ちし滅び落ちた天守閣、天神山廃城

広告


・・・日本の歴史を語る上で欠かすことの出来ない重要な拠点である。

 

一度ひとたび戦いになれば砦として大きな立ち位置を占めていたことは曲げようの無い事実なことに加え、という存在はその町を象徴する建築物だった、と言っても過言では無いと思う。

 

そんな城も今では殆どが戦で落城し、仮に残っていたとしても観光目的で小綺麗な状態の「城」があるだけだ。廃墟としての廃城はまず皆無・・・そう思われるかもしれない。

 

ならもし、埼玉県の山間部に天守閣を備えた威厳ある廃城が眠っているとしたらどう思われるだろう・・・?

 

天神山廃城

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

埼玉県長瀞町岩田の白鳥神社裏には小高い無名の山がある。

 

その山頂には天神山てんじんやま廃城はいじょうと呼ばれる一軒の廃墟が朽ち置かれているのである。

 

元々天神山観光を目的として築城された模擬天守で、史実においては天守が存在しない山城であった。それが小田原征伐の折山城ごと落城、1970年に観光目的で本丸跡に展望台、資料館を初めとした模擬二重櫓を建築したのだ。

 

しかし、その観光模擬天守閣も客足が思うように伸びず、運営会社は倒産、現在は廃墟と成り果てている。

 

「廃城」という響きに心を打たれ、彼女との旅程に組み込んで訪れることに決めたのだった。

 

さびれ切った儚き道程みちのり

お化け屋敷のような観光センター廃墟

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地は埼玉県道82号線から分岐した細い道、その場所にある入口地点だ。

 

か細い支柱とショボい屋根が施されたゲート、こここそが天神山廃城へと続く入口となっているのだ。

 

崩落し、路盤が剥き出しになっていたりもするが、一応舗装路で、一度入口を見つけてしまえばルートとしては分かりやすい部類に入るだろう。

 

そうして歩き始めてすぐ、何やら左手頭上に明らかな人工物がフェードインしてくる。

 

建物・・・だよな?

 

鼠色のコンクリート壁に、ガラスが排された窓枠・・・一見するとアパートの廃墟だ。

 

現在地からは崖上に位置している為、全景を見とることは出来ないのだが、後程再会を果たすことになる。

 

落ち葉が敷き詰められ、左右を土手に挟まれた道を歩いて行く。

 

この日は雨が酷く、不知火は靴底がほぼツルツルになったスニーカーを履いていたので、スッテンコロリンしないよう、慎重に歩かざるを得なかった。

 

プツンと途切れたアスファルト。ここで舗装は終わり、見ての通りな草原地帯を横切ることとなる。

 

ぬ、ぬかるんでおる・・・。

 

一歩、また一歩と足を地面に置く度にグッチョ、グッチョといういつ靴内が浸水しても可笑しく無いぬかるみを進まなくてはならない。

 

まるで田んぼの畦道で、軽トラが進んだ跡のような轍が形成されていたことから、かつてこの一帯は「天神山観光」の駐車場になっていたのかもしれない。

 

草原地帯が終わり、土手を上がると今度は山道。

 

しかし土手を上がり山道に入る直前、否応にも視界に飛び込んで来るナニカがあった。それは・・・

 

そう、入口をくぐってすぐ目にした廃墟である。

 

言い様の無い寒気が不知火の背中を襲った。例えようが無く、単なる直感なのだが「ガチで入らない方が良い場所」と脳内で警鐘けいしょうを鳴らされた気がした。

 

雨に濡れ、空が霞み、ヌゥッと出でた廃墟、これは天神山観光センター跡で、往時は観光客が立ち寄る立派な施設だったのだろう。今となっては見る影も無くボロボロになり、サバゲーの戦場と化しているようだ。

 

ちなみに、横を歩いていた彼女は「晴れていたら行ってみたい」と呟いていた。いつも彼女の胆力に驚かされる不知火であった。

 

弱弱しい物見櫓とトイレの廃墟

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地を記そう。天神山観光センター跡より北、ここからは前述の通り山道だ。

 

・・・至って普通。特筆すべき点が見当たらないような、平凡な山道。

 

迷う要素などまるで皆無で、思考停止状態でも楽々進むことが出来る。

 

地形に少しずつ変化が訪れはするものの、相も変わらず一本道。

 

時期は秋だが紅葉も無く、淡々と標高を稼いでいく。

 

暫くすると登り勾配は終わりを告げ、平地に切り替わる。

 

すると先行していた彼女が「先に何かあるよ」と教えてくれた。

 

よくよく目を凝らしてみると・・・奥に擬態しているかのような物体が垣間見える。

 

やぐら、だ。所謂いわゆる物見櫓というやつだろう。

 

見張りが平時は異変が無いか目を光らせ、有事になれば敵の動きを知る為に重宝する、櫓。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地は廃城のすぐ近く、道からやや分岐したところにある。

 

下から櫓を見上げる。

 

一見すると確かによく出来ている。だが材質が残念だ。何故ならその殆どが金属となっていて、木材が見当たらない。後年になって作られた模擬建築とはいえ、やはり歴史感を漂わせるなら木材を多用し、金属を減らす方が良かったのではないかと考察する。

 

見れば見るほど残念度は増していく。展望台、もとい櫓に梯子はあるが、あまりにもちゃっちい梯子でどう考えても現役時代に登ることは不可能で、この櫓自体、完全なる「見るだけ」な物だったのだろう。

 

櫓を後にして、間もなくの光景。左手に橋、ああ恐らく、その先に廃城だろう。

 

その前に、写真に写り込んでいる廃屋を。

 

外観上は小さな小屋。瓦で覆われた屋根に、古めかしい窓枠、風合いを増した壁。

 

なんとなーく用途に察しがつく方もいらっしゃるかもしれない。

 

トイレだ。

 

先程の櫓と比較するとだいぶ味わいがある。今となっては近寄ることすら躊躇ってしまうレベルだが、もし世に「トイレマニア」なる人がいるのなら、訪れてみるのも一興・・・か?

 

トイレを横切り、橋を渡る。

 

とても小さく、錆びてはいるが、意外と作りはしっかりしているらしく、床板の剥離や極端な損壊は見当たらなかった。

 

ものの2秒で終わる渡橋。

 

だが先を見やればそこには階段が現れた。つまるところそれは・・・目的地への到達を意味していることに他ならない。

 

邂逅。段上にお目当ての廃墟が姿を見せたのである。

 

うつろい天仰ぐ孤高の廃城

滅びし威厳満ちた天守

生い茂る草木、静寂の山頂、蹂躙じゅうりんされる天守。

 

思わず感服してしまう、この堂々とした佇まいはこの手の物件が好きな者の心を掴み、とりこにすること間違い無しと言うべきだろう。

 

劣化具合がまた素晴らしい塩梅あんばいだ。

 

小綺麗では無く、随所に傷みや朽ちが散見されるということこそ、廃城らしさが増幅されるというものである。

 

外観だけで評するならば、不知火的には100点・・・とまで行かずとも90点は与えたい。

 

2階部分には高欄こうらん、テラスが設けられ、外に出られるようだ。

 

辺りは草木に覆われているので、眺めは良くないだろうが、個人的には登って・・・みたい。

 

破風はふ千鳥ちどり破風と入母屋いりもや破風、懸魚げぎょは恐らく二重懸魚だろう。

 

詳しくは後述する。

 

窓は写真の通り摺りガラスとなっており、言ってしまえば「近代的」な人工物となってしまうのだが、不思議と違和感は小さく、城構造に上手く溶け込んでいると思える。

 

天守台は土塁や石垣では無く、一般的なコンクリート。拘って欲しい・・・とか考える以前に、台の最下部端は地面がポッカリ消失しており、廃墟自体の危険性の高さが窺える。

 

城内がどうとか、そういったチャチな内容よりも外部の惨状を見てしまうと、とても内部を探索するのは恐ろしくて仕方が無い。

 

天守台、つまり1階部分には入口があり、覗き込んでみると空洞となっており、建物を支える役割の支柱が錯綜している。

 

鉄骨はしっかりとしているが、木材は所々歪んでいるので、はてさて一体全体いつまで持つのだろうな・・・。

 


広告


荒廃極まり躊躇う居内

では居内へ行ってみるとしよう。

 

先達方のレポートを見る限り、さほど充実した内部では無いようだが、それでもここまで来たのだから見届けたいとう願望は強い。

 

ゆっくりと石段を登り、城内にカメラを入れる。

 

悪く無い・・・。

 

用途は不明だが、時代劇に出てきそうな雰囲気あるシーソーのような見た目をした木製のアイテムをはじめ、点々と散らばるソレらは往時、観光客への見世物としては最適だったであろう。

 

その天井は凄まじい荒れ方をしており、まるで劇場の垂れ幕のようにも感じた。

 

雨水も数多滴り落ちており、木であるが故に避けられない劣化と言えよう。

 

乱雑さが目立つが、それもまた然り。

 

改めて入口から踏み込み、内部を練り歩こうとしたところで、彼女に「足元」を指摘され、目線を下に下げる。するとそこには・・・

 

骨組みが剥き出しになった床が目に飛び込んで来たのだ。

 

写真は足を置いている入口より数歩分奥を撮ったものだが、爪先より数センチ先は頼りない木材の棒があるだけで、まさに足の踏み場が無い状態であった。

 

暫し彼女と進むか否かについて談義した結果、安全を考慮して撤退するということにした。こんなところで命を天秤に掛けるのはあまりに無謀だからな・・・。

 

不完全燃焼で申し訳無いが、天神山廃城の探索は以上となる。

 

ツワモノはあの床板でも乗り込むようだが・・・。

 

天守閣外観から読み解く、天神山城

レポートとしてはやや文字数が少ないので、もう少しだけ書き足したいと思う。

 

先達方のレポートでは見掛けない、天神山城に施された天守閣外観の考察をしていく。ちなみに下手くそな図はクリップスタジオを使って自前で描いたものなのでご容赦頂きたい。

入母屋造

はじめに見ていくのは建物自体の形、つまりはつくりだ。

 

往々にして城の中心となる母屋(白い壁の部分)の形状は正方形若しくは長方形となる為、城の印象を司るのは建物の最上階にある屋根の形状と言っても過言では無い。

 

大まかに切妻造きりづまづくり寄棟造よせむねづくり入母屋造いりもやづくりの3種類。

 

まず切妻造。これは棟の頂点から左右2方向に屋根を降ろしていくもので、分かりやすく例えるなら本を開いて上に被せたような形だ。とてもシンプルで、城よりは家で見掛ける気がする。実際街並みにおいては多く用いられている造であり、建物前を通る道路に対して圧迫感が少ない為、とても馴染みやすい調和の取れたスタイルを構築すると言われている。

 

次の寄棟造は棟の頂上から4方向に屋根を降ろした形となり、後述の破風は形成されない。寄棟造の特徴は雨が流れやすく溜まりにくいということが挙げられる反面、切妻造や入母屋造のような、屋根の部分に垂直な壁が無いので、換気性が悪化する。こちらも印象としては城というよりは小屋といった感じか。

 

最後の入母屋造とは屋根の上半分が切妻造、下半分が寄棟造というそれぞれを合体させたような形。とても見た目が美しいので、日本の城の大半はこの入母屋造が採用されている程だ。入母屋造の歴史は古く、日本においてはなんと弥生時代の集落遺跡の竪穴式住居から存在が確認されているというのだから驚きである。

 

つまるところ天神山城は最上階の屋根を見ても分かる通り、入母屋造が採用されているということになる。

 

千鳥破風

造の次に説明するのは破風はふについてである。

 

破風を大雑把に言ってしまえば屋根に出来る三角の部分だ。城郭に限らず、神社等、日本の幅広い建築に関わっている装飾なのだ。

 

破風は切妻破風きりづまはふ唐破風からはふ入母屋破風いりもやはふ千鳥破風ちどりはふの4種類。

 

切妻破風は前述の「造」によって必然的に生じる三角形のことで、破風としての装飾要素は小さいと言える。故に一般的には小規模な造りの建物が殆どだ。

 

唐破風は三角形というよりお椀のように婉曲した形をしている破風だ。「唐」という名称から中国史と関連がありそうなものだが、実際は日本特有の形式だという。この破風は平安時代には既に確立していたとされる。

 

入母屋破風は先に取り上げた入母屋造の屋根に出来る破風だ。その為城の最上階が望楼ぼうろう(物見台)である場合は必ず入母屋破風が設けられることになる。

 

最後の千鳥破風破風自体の形としては入母屋破風と変わらない三角形。では千鳥破風と入母屋破風、この2つの違いは何か、それを説明したい。

 

上の図を見て頂こう。・・・ド下手で分かり辛い?いや、そんなことでは無く、千鳥破風と入母屋破風の違いである。

 

簡単に言ってしまえば、破風屋根の端(隅棟すみむね)と接続しているかどうか、ということが見分けるポイントとなる。

 

上の図は違いを分かりやすくする為、敢えて極端な入母屋破風を用いているし、実際はこんな破風あり得ないのであくまで参考図だ。

 

これらのことを踏まえて天神山城の破風を見ると、天守台の上、2階部分が千鳥破風、3階部分が入母屋破風と見ることが出来る。

 

二重懸魚

さて、それともう一つ。2階部分の千鳥破風に不思議な形をした装飾が施されている。探索中にも軽く触れたが、これは懸魚げぎょと呼ばれるものである。

 

懸魚は破風下の装飾を目的とした彫刻がされた板のことを指し、元々は軒の先を隠す為に作られたもので、別名を桁隠けたかくしという。

 

懸魚の種類は沢山あるのだが、代表的なものは4種類、蕪懸魚かぶらげぎょ三ツ花懸魚みつばなげぎょ梅鉢懸魚うめばちげぎょ猪目懸魚いのめげぎょだ。

 

当初天神山城にある懸魚は4種類のどれにも該当しなかったので、呼び名が分からなかったが、参考にさせて頂いたサイト様、「懸魚(げぎょ)の種類」に懸魚のことが詳しく載っており、二重懸魚にじゅうげぎょということが判明した。

 

入母屋造で千鳥破風で二重懸魚な天神山廃城

以上のことから天神山城は、造が入母屋造、2階破風が千鳥破風、3階破風が入母屋破風、懸魚は二重懸魚ということになる。

 

設計者がこれらを意図的に選んで造ったのかどうかは不明だが、こうして考えながら見てみるとなかなか面白い。

 

余談だが、1970年代に営業していた当時、当記事で紹介したトイレ付近まで車で訪れることが出来たそうである。参考にさせて頂いたサイト様の写真を見るとトイレから天神山城まで視界を遮るものは何も無く、クッキリハッキリ拝むことが可能だった。是非とも車とセットで撮ってみたいものであった。

 

終わりに

案内も何も残らず、山頂に居座り朽ちていく天神山廃城。

 

観光目的で建設されたにも関わらず、マイナー過ぎた為かあまり脚光を浴びることの無かったその城は、皮肉なもので、廃墟と成り果てた今となってようやくその価値が高まってきたとも言える。

 

長瀞町の「裏」観光スポット、天神山廃城は今日も変わらず好事家達を招き続けていくのだろう・・・。


広告


 

 

秘境カテゴリの最新記事