【群馬県】【廃鉱山】岩塊に張り付く巨大廃工場!磐戸鉱山跡を探索せよ!

【群馬県】【廃鉱山】岩塊に張り付く巨大廃工場!磐戸鉱山跡を探索せよ!
 


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廃墟、と一口に言っても実に様々な種類がある。

 

戸建、アパート、マンションから始まり、集落、工場、時にはダムや発電所も廃墟として残されている。

 

その中でも取り分け不知火の中でブームになっている廃墟がある。

 

それは廃鉱山だ。

 

坑道、選鉱所、事務所や住宅群、娯楽施設が残る場合もある。

 

廃墟そのものが経年劣化から崩壊の危険性を秘めているが、廃鉱山に関しては放置された坑道がずば抜けて危険な為、封鎖されるケースが多い。きちんと管理されていたはずの現役稼働時代ですら落盤やガス漏れ、粉塵爆発といった事故が絶えず起きていたのだ。廃鉱山となった場合に起こる事故率はその比では無い。恐らく地下における物件の中でも、1、2を争う危険度では無かろうか?

 

それを踏まえた上でお送りするレポートがまさにその廃鉱山である。

 

今回はそんな大規模な錆が繰り成す、群馬県のとある鉱山跡をレポートしたい。

 

磐戸鉱山いわどこうざん

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

群馬県南牧村の一角には石灰が採掘される鉱脈が広範囲に渡って存在しており、例に漏れず工場が設置された。

 

ほとんど平地がない山深い里で、深い谷の傾斜地や川沿いの崖にはりつくように民家が建っている。

 

この施設跡地の名は磐戸鉱山いわどこうざん跡、本レポート執筆対象物件である。

 

過去下仁田町から南牧村に掛けて、質の良い石灰石が採掘されることが知られており、上野石灰という名称で珍重されていた。

 

南牧村においては1933年に青倉石灰工業株式会社が鉱山を設立させるが、この鉱山こそが磐戸鉱山と思われる。

 

余談だが、南牧村より東にあった青倉村(現下仁田町)では白石工業が運営する白艶華はくえんか(白石工業が製造特許を取得した炭酸カルシウムの製品名)工場という世界最大の化学反応槽を持つ工場を1932年に開設し、主に肥料が生成されていたようだ。

 

航空写真で周囲を俯瞰してみると、県道から外れ、民家からも離れた地点に静かに眠っているという印象を受けるが、果たしてどのようなものなのか・・・?

 

なお、一応、詳しい場所はこのレポート内では控えておく。

 

農家集落の最奥に

封閉岩窟

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地は群馬県南牧村、集落地帯をやや外れた地点である。

 

殺風景であると同時に、さもありげといった雰囲気を匂わせているとも言える。

 

普通の人であればナビに案内も書かれていないようなこの物件など知るよしも無く、早々に引き返してしまう状況だが、「ある」と分かっているからこそ自信を持って進めるのだ。

 

集落は完全に終わりということでも無く、ぽつぽつと見え隠れする。

 

ただ、パッと見住んでいるように見えて、廃墟という可能性もあるが・・・。

 

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

そして進むに連れ左手、地図で言うと北方向に何やら怪しいモノが現れる。

 

おや・・・?

 

バリケードの先、奥にあるのは・・・隧道・・・?

 

だよ、な、間違い無く隧道だ。

 

サイズ的には中型トラックくらいなら通れるくらい。

 

ガッチリ塞がれているように見えて、実際は金網。絶えず奥からゴーゴーという音が漏れ続けている。

 

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

後日地図を見て知ったが、反対側へ貫通しているらしい。恐らくは隧道の役割と内部で坑道となる通洞坑口の役割を担っていたのでは無いだろうか。

 

通洞坑口という仮説については後程説明する。

 

「日曜夕方」

一旦現道に復帰する。道は変わり映えすることも無い1車線。

 

特筆すべきことも思い浮かばず、淡々と物件に向かっていた、のだが・・・

 

ファッ!!??

 

対向車!?というかトラック!?

 

日曜夕方の出来事である。

 

いや別に、こういった1車線の道で対向車と出くわすのは普通だ、珍しくも無い。だが不知火が驚いているのは日曜夕方にどう見ても地元の工事車両と御対面したことに、なのだ。日曜夕方に何故いるのだ・・・。

 

とはいえ、明らか場違いな車両(不知火の相棒TT)が通行を優先されるのは可笑しな話。神速でバックギアにシフトし、後方を確認しつつ後退を開始する。

 

なのだが・・・

 

あれ・・・?トラックも・・・下がってる・・・?

 

そう、不知火が後退を開始したのとほぼ同時にトラックも後退していたのである。

 

ギアを1速(マニュアルモード)に変えて、再度前進。やはりトラックは離合ポイントまで戻ってくれていた。

 

オーバーアクションとも取れる動作で手を挙げお礼を表し、脇を抜ける。

 

敗北した・・・。この手の離合は決まって相手が反応する前に後退し、対向車に道を譲ることを信条としている不知火にとって、屈辱とも言える敗北感が脳内を駆け巡っていた。・・・とか思いつつも道を譲って貰えたので、素直に感謝致します。

 

現れし巨漢

ドラレコも大詰め。右手に砂防ダムが見えているコーナーを曲がり切れば・・・顔を出すはずだ。

 

このヘアピン、なかなかに勾配がある。相棒TTのギアを2速に入れつつ、アクセルを煽り気味に吹かし、駆け登って行く。

 

短いストレート。やや傾斜はあるものの、意外な程路面は真っ平らでガタガタというロードノイズを拾うことは無い。

 

そして・・・

 

!!!

 

これか!右側に現れ出た、この場所こそがっ!

 

岩塊纏う「ラピュタ城」

堂々居留するホッパー、上階から伸び生えるコンベア、荒々しさ体現する岩群、似つかわしく無い程麗しい新緑。

 

岩塊を纏う廃墟の様は例えるならそう、スタジオジブリの「ラピュタ城」。無論こちらは浮いていないので、天空の城では無いが。

 

半円状の窪みの中にホッパーが収まっており、恐らくはかつてトラックに積み乗せたのだろう。

 

直上の「安全第一 磐戸鉱山」と記された鉄板がまた印象的だ。

 

ふむ、良い色味だ(自画自賛)。

 

角度の付いた錆びた四角い管はベルトコンベアの終端だろう。上階から岩壁を経由したのち、ここに辿り着く。

 

無作為に積まれた丸太は鉱山とは関係無く、単に木材の乾燥場か保管場としてこの場を使っているのだろうな。

 

「安全第一 磐戸鉱山」

 

まだ廃鉱山は数ヶ所しか訪れていないが、こうして考えてみると、名称が刻まれた廃鉱山は初めて見た。デカデカ書かれた所というのは意外と少ないのかもしれない。

 

先程も写した巨大な半円状の窪み、便宜的にホッパーホールと呼ぶことにしよう。

 

ホッパーホールの高さは軽くアパート2階部分程度はあり、充分大型トラックを乗り付け、積載することが可能となっている。

 

ボロボロに朽ち果て、植物が生え始めている。

 

よく見ると、奥にも形状の異なるホッパーのような物が写っていて、場合によって使い分けていたのだろうか。

 

ホッパー群の直上、チラチラと見えていて気になって仕方が無い上部建造物。日が長いとはいえ、あまり長い時間探索出来る訳では無い。

 

しかしながら、やはり自らの欲望に抗うことは難しく、多少日が傾いても見れる場所は是非とも拝謁に賜りたい。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地を地図に示す。グレーアウトしかけの細い道は奥へと繋がっていて、上階に通じている。

 

さてさて、残り時間でどこまで探り見ることが出来るかな・・・。


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標高稼ぐ九十九折つづらお

ポツンと残る「なんもくつりぃはうす」

ホッパー達が残る地点を後にする際振り返って撮影。

 

岩塊最上部には赤茶けたベルトコンベアと鉄板で出来た建物、それにタンクが見て取れる。

 

歩き始めてすぐ、巨大な切通しと対面することになる。

 

道幅もそれほど広く無いが、カーブミラーが設置されているので、対向車の存在には気付くはずだ。

 

切通し通過直後、ひび割れだらけのアスファルトを歩いていると・・・おや?

 

写真左側に何か建物が写っているぞ?あれは小屋か?

 

ゆっくりと近付いてみる。こじんまりとした小屋。屋根を隠す勢いで木の枝が伸び、影を落としている。

 

また、写真の左側には手書きの看板が設置されている。

 

なんもくつりぃはうす

 

近付くとそう書かれていた。

 

看板は傾き、どう考えても廃業していると見て間違い無さそうだ。だが、表面の木板は真新しく、ここ2、3年で廃れたようにも思える。

 

「なんもくつりぃはうす」、その建物だ。

 

一見役目を終えているようにも見えるが、廃墟と呼ぶには荒れ方が足りていない。

 

案の定、中には物品が並べ置かれており、どうにも作業小屋として利用されているような印象を受けた。

 

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

ちなみに、今回は未探索だが、なんもくつりぃはうすより先には道が続いており、序盤に通洞坑口では無いかと推察した隧道に繋がっていると分かる。

 

調べても資料がろくすっぽ出て来ないので憶測ではあるのだが、内部で竪坑もしくは斜坑となり坑道を形成していたのでは無いだろうか。

 

汗滲む登り坂

なんもくつりぃはうすに別れを告げ、先を急ぐ。何とか日没までに大まかな全貌だけでも把握しておきたい。

 

・・・にしてもエッグい陥没だなぁ。

 

3.5m程ある道路の幅員の内、大体その半分が抉り取られている。

 

こういう道路状態を目にしたとき、不知火は無意識に「TTでも通れるか?」を考するのだが・・・これくらいなら通れるな。

 

ハァハァハァ・・・。

 

え?何一人で興奮してるんだって?違う、そうじゃない・・・暑いんだよ。

 

何せずっと登り勾配で、夕方とはいえ時期は5月半ば。タンクトップで1日中過ごせる気温ともなれば、登り坂は不知火にとって「汗だく案件」なのだ。

 

み、見えた・・・!

 

ちらりと顔を覗かせる廃墟。体温もゲージマックスでヒート状態をキープしている為、ここいらで廃墟写真撮影という名目のクーリングタイムを設けたいと思っていたのだが、

 

アッハイ、まだ続くんですね・・・。

 

確かに上の写真でも1本線形が残っているのは見えているので、まあ普通は気付くか(当時気付かなかったということは内緒だ・・・)。

 

クネックネしとります。

 

九十九折れを上から見下ろしたとき、こういうヘアピンカーブの連続帯が見れるのはある種興奮する。分かる人には分かるだろうし、分からない人は分からない趣向なのかもしれないが。

 

じんわりと汗が滴り続ける急坂に食傷気味になっていたそのときだった。

 

この・・・錆び切った廃機械・・・まさか・・・!

 

言無く語る異様な「老兵群」

錆び切りながらも巨躯きょくを崩さぬ廃機はいき物音一つしない山間、仄暗ほのくらよど曇空どんくう・・・。

 

その様を例えるならば、老兵。数多の戦場で修羅場を駆け抜け、生還してきた老兵は言葉を発さずとも風体ふうていだけでその強さを知らしめることが出来るからである。

 

機械が稼働しなくなってから幾年もの年月が経過していることは間違い無いが、年老いて尚振り撒く圧倒的な戦闘力のようなものを感じ、接近することに対して二の足を踏んでしまったことは、否定することの出来ない事実だった。

 

どうしてもフレーム奥に在する巨大なタンクやコンベア群に目が行ってしまうが、周囲にある小規模なホッパーやコンベアも充分過ぎる程の廃力はいりょくを秘めている。

 

上手いフレーミングが思い浮かばなかったが、下からのアオリで撮影するだけでも力強さを放出しているように思えるが、それはやはり「廃墟」となってからこそ発揮されるはずなのであり、単に稼働している機械からは些かその力は弱まってしまうのだろう。

 

試しにホッパーの一つを真下から覗いてみたのだが、弁がされていて、排出口を通して空を見上げることは叶わなかった。

 

ホッパーの置かれた地点から階下を見て見ると・・・たっけぇ・・・。

 

ここから下れば、相棒TTのポイントまで一気にショートカット出来るが、同時に人生についても残りを一気にショートカットすることになるだろう。

 

パイプラインはそのまま巨大なホッパーまで伸びている。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地を示す。ホッパーと書いた地点からここまで歩いてきた訳だが、直線距離は階上階下なので大したこと無い。しかし到底九十九折つづらおれ無しでは人間が歩くことは出来ない。

 

一見すると遠回りに見える九十九折れも、急斜面を安全に移動するには必要不可欠なものと言えるだろう。

 

牧場のサイロのように巨大なタンク。

 

当然その本体は赤茶に錆び、年月の経過を物語る。

 

入ってみたくて仕方無いのだが、残念ながら日没までの刻限が迫っている以上、一度踏み込んでしまえば外界は暗闇に閉ざされてしまい、それは避けたかったので、後ろ髪を引かれつつも外観をカメラに納めるのみとした。

 

背景にあるのは雄大なる山嶺。

 

まさに深山幽谷しんざんゆうこくとも表せる地に、その老兵群は身を置き続けるのである。

 

ラスト目指して進む道

広場に残るガンとタンクと控室

さあさあ、早足で行かねば・・・!

 

地図で見る限り、まだそれなりに距離がある。幾らか平坦だが、九十九折れは変わらず介在しており、悠長にはしていられない。

 

・・・とか言いながら気になる所があればチラ見しに行ってしまうのが不知火。

 

一見ただの広場だが・・・

 

よくよく目を凝らすとコンベアが茂みの中に隠れていた。

 

色合いがまるで枯れ木のようでもあり、もはや擬態していると言っても過言では無い。

 

寄り道を打ち切り、本線上を歩くと「徐行」という文字が見て取れる「香ばしい」色合いの標識が脇にいた。

 

単に「錆びている」だけの標識だが、やはりこれくらいダーティな方が年季を感じられるというものだな。

 

両脇に木が備わる林間ではやや薄暗く、これが完全に日没してしまうと・・・ヤバいな・・・。

 

フクロウや野犬の鳴き声に怯えながら涙目で帰路を辿ることになってしまう。急げ、急ぐんだ不知火・・・!

 

林間を過ぎ、またもや視界が開ける。一見何だか分からないが、右手に目を凝らすと鉄製のブツが写っている。

 

これがその鉄製のブツだ。原型を保ちながらも激しい自然と時の凌辱を受け続け、古めかしい外観を示す。

 

どう見ても何かを保管する為のタンク。ではタンクの役割は、というと推察出来るのは軽油用の保管タンク。

 

タンク直下にはその燃料を給油する為のメーター及びガンノズル。

 

メーターとガンノズルが一種類しか無いことから、恐らくはトラックの燃料として用いられる軽油ではないかと考えられる。

 

今となってはガソリンスタンドでもまず見掛けることの無い古めかしいタイプのメーター。

 

給油装置は至ってシンプルであったと思われ、パネル内の中央にある大き目のメーターはタンク内の残り燃料容量、小さい「LITER」というメーターは給油量となっていたのだろうか。

 

更にはタンク直下に「発破時 退避場所」なる看板を発見した。

 

およそ危険物である燃料タンクを鎮座させる場所なのだから、安全地帯として定義付けられるのは至極当然である。実際ガソリンスタンドなんかも、一見地震や火災等が発生した際は火災や爆発の危険が高いと考えるのが一般的かもしれないが、実は逆で、強い揺れや火事にも耐えることが出来るよう、高い耐震性と耐火性を誇っている為、下手に公園を避難場所に選ぶよりずっと安全だということはあまり知られていないだろう。

 

何にせよ、鉱石を発破にて爆砕するときの集合地点として利用されていたということになる。

 

そしてタンク真横、簡素な作りの小屋は「磐戸鉱山係員控室」だったようだ。

 

発破時に外で待つこと無く、室内で待機することが出来たというのは、鉱員にとっては有難かったに違いない。

 

タンクと小屋の道路を挟んで反対側には、直近の発破開始予定時刻を示すパネル。

 

1日にどのくらいの頻度で発破が取り行われていたのかは定かでは無いが、現場を目まぐるしく動き回る鉱員にとっては「あれ?次の発破何時だっけ?」と時刻を知る者を探して右往左往せずに済むのでなかなかに重宝していた、と推測する。

 

開け広がる採石場

往時のアイテム達に別れを告げ、歩き出す。

 

ツギハギだらけのアスファルトは幾度かの改修工事が行われていたのだろう。

 

お、右手に建物のような物体、木々の奥に垣間見える小高い山・・・。ということは・・・。

 

どうやら・・・一先ひとまずの終着点と言えるか。

 

ライブ会場の観客スペースと見紛う程広々とした空き地の奥に段状に開かれた岩肌。

 

素人目線ではあるが、採石場と見るべきだろう。

 

工法としては階段採掘法(ベンチカット法)を用いていたと思われる。文字通り水平なベンチを鉱床に沿って展開していくもので、石灰等の非金属鉱山においては古くから利用されていた露天掘りの行い方だ。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地は下仁田町と南牧村の町村境手前。磐戸鉱山関連の施設としてはここまで、ということになるだろう。

 

どう見ても真新しいスーパーハウス群。

 

窓枠に板が施されているところを見ると、仮小屋では無く、倉庫として使われていた可能性がある。

 

こちらもやたらとピカピカしていて、とても退役した施設とは考えにくい。やはりまだ鉱山関連施設として運用されているのか・・・?

 

この先へ進めば下仁田町に入り、青倉鉱山跡に続くものと思われるが、タイムリミットだ。

 

探索を打ち切り、相棒TTの元へ舞い戻る不知火であった。

 

終わりに

人里の奥深くに埋没した工場、磐戸鉱山跡。

 

肥料、鉄鋼、土木、公害防止等、ありとあらゆる場所で活躍する石灰を生み出してきた一帯は、ひっそりと残され、激動の時代を語っているようにも思えた。

 

願うことなら、またいつか、未探索箇所を含め再探索してみたいものである。


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