【千葉県】【隧道】半分以上蓋をされているが通行可能な「私有地」トンネル

【千葉県】【隧道】半分以上蓋をされているが通行可能な「私有地」トンネル

千葉県には、謎がいっぱいである。

 

何を藪から棒に、と思われてしまうかもしれないが、僕が常々感じている千葉県に対する率直な思いだ。

 

標高500m以上の山が無い日本で唯一の都道府県にも関わらず、蓋を開けてみると奇々怪々な物件や楽しさが一箇所に詰め込まれたスポットなど、枚挙に暇が無い。何の興味も無い人が見れば「ふーん」で終わり素通りしてしまうような種類が主ではあるが、僕のように秘境探索が趣味な人間からしてみれば、まさに垂涎と言うべき場所ばかりに思えて仕方が無い。

 

さて、今回紹介する物件だが、あなたは半分以上コンクリートで蓋をされているが通行可能な隧道を目にしたことがおありだろうか?

 

きっと多くの方がそんな意味不明な光景を見たことが無いはずだ。そして、理解不能な現地の様子に目が点になること間違い無しである。

 

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現国道脇に控える一本の旧道

港町の潮騒残る地点

所在地は富津市金谷。すぐ近くに神奈川県の久里浜と千葉県の浜金谷を結ぶ、金谷フェリーターミナルがある。神奈川県ー東京都ー埼玉県ー千葉県を結ぶ首都圏の大動脈、国道16号線において、この久里浜ー金谷間は俗に言う「海上国道」に指定されている。つまりはフェリーを使う事で国道16号線を走破したことになるという、一風変わった国道である。国道16号線と言えば、昼も夜も車両が絶えること無く、取り締まりのメッカで、交通事故が多発する魔の道路であることでも有名だ。

 

話が逸れたが、そのフェリーターミナルから幾ばくと離れていない、国道127号線の旧道区間に目的のブツが眠っている。

 

燦然煌めく陽光の下・・・

現在地は富津金谷ICに続く県道237号線と交わるT字路交差点である。今走っている国道127号線をそのまま直進していく。余談だが、左折しIC方面へ向かうと千葉県では有名なダート林道、林道金谷元名線に続く分岐がある。ある理由で途中までしか走行出来なかったが、相棒TTで突入し、なかなかオイシイ景色の収穫があったので、いずれは様子を綴りたいと思う。

 

目の前に見える立派な坑口のトンネルではなく、左側に白線で仕切られている頼りない脇道に入る。旧国道127号線に該当する道だ。

 

ちなみに今回のアシは相棒TTでは無く、代車のライフで出向いている。普段から荒れた道をTTで走ることを頻繁に行っていることから、定期的なメンテナンスは欠かすことが出来ない。この時相棒TTは四輪アライメント調整とホイールバランス調整で整備工場へ預けている真っ最中だ。この日は鋸山の車力道から行ける吹抜洞窟の探索を終え、余った時間でそのままこちらへ走らせた。鋸山からさほど距離が離れていなかったこともあり、なんとなく寄ってみるか、程度でこの時は考えていた。

 

脇道の車両通行帯は狭く、車両一台が通れる幅しか設けられていなかった。ひとまずは邪魔にならないよう気を付けながら、山側ギリギリに車を付け、駐車をさせて頂く。それにしても、なんだこのビミョーな黄線の引かれ方は・・・。車両通行帯にまで食い込んでるお陰で、ただでさえ狭い幅員が更に狭くなってるじゃないか。こりゃどういうこっちゃ・・・。

 

運転席から助手席側に移動し、ラゲッジルームの一眼レフを取り出して道路を歩いていく。

 

・・・と、そこには衝撃の光景が待ち受けていた。

 

!?!?!?!?!?

 

 

 

突っ込みどころ満載な奇天烈隧道

状況確認

・・・・・・何が起こっている・・・?

 

理解出来ない状況に脳内CPUの処理が追い付かなくなり、ビジー状態となる。マズイ、このままだとすぐにでもオーバーロードする。

 

・・・一旦目の前の出来事を整理してみよう。

 

まず、隧道が現れた。そして坑口の右3分の2以上がコンクリートで覆われている。更に黄線が引かれた右側は「私有地」となっており、一般人及び一般車は侵入が許されない。しかし黄線が引かれた場所はセンターラインより左側で、車両が通行する際は道交法では禁止されている路側帯を否応無く踏むことになる。加えて通行に関する看板などは無く、左側には平然と民家が立ち並んでいる・・・。

 

ダメだ、分からん。

 

もう意味分からない。隧道の坑口が意図的に完全に塞がれて廃隧道化したり、はたまた災害などの落石により廃隧道を余儀無くされるケースがごく一般的ではある。だが今回のはそのどちらでも無い。明らかに意図的だが、車両の通行は許可されていると見て間違いが無い。でなければこの旧道に入る手前に「私道の為一般車通行禁止」などと書かれた看板が置かれていなければ辻褄が合わなくなる。

 

これは途轍もなく深い闇に覆われた隧道だな・・・。

 

中身もカオス

恐る恐る、外壁に近づき中身を覗いてみる。当然の如く黄線は隧道内にも引かれており、ガッチリ厳密なまでに領地を主張していた。「私有地」と思しき範囲はどうも白線より内側だったり外側だったりするようで、白線をガン無視で引かれていたのだ。

 

道路幅的には普通車が1台通行する幅員はクリアしているものの、前述のように路側帯を踏まなければ絶対に走ることが出来ないようになっている辺り、土地所有者の意思の強さが伺える。まるで、「通りたければ通っても良いが、どうなっても知らんよ」という雰囲気が漂っているようだ。まあ確かに、片側1車線で歩道まで完備された新国道(現道)がある訳だし、旧道に家を構える居住者か、僕みたいな一部のマニアくらいしか通ることが無いのだし、正論と言えば正論である。

 

内部に足を踏み入れてみたが、これまた何と言うか・・・。どうやらこの隧道は拡幅工事が成されたようで、北側と南側で坑口の広さが異なっている。元々はこの先の出口である北側のように狭く小さい入口のみだったのが、南側のみ工事により広くなったのだろう。だが、広くなっただけで一車線分の白線しか引かれてなかったし、こうして南側はコンクリートで半閉塞しているのだから、理解に苦しむ状態だ。

 

右に目をやると、そこは物置と化していた。恐らく土地所有者の物なのだろう。マジでカオス過ぎるでしょこの隧道・・・。またもや脳味噌がイカれて、今度はフリーズによるブルースクリーンから強制リブートがかかりそうだ。

 

振り返って半閉塞側を撮影。全く隧道先の状況が見えないので、正直カーブミラーくらい設置してほしいと思う。夜ならヘッドライトで対向車の存在に気付けるが、歩行者だと最悪出会いがしらに轢いてしまうことになる。そうならないようにする為にも、ドライバーは最徐行し人やチャリ、車が対向から顔を出しても対処出来るようにしておく必要がある。こりゃ下手な見通しの悪い交差点や曲がり角なんかよりよっぽどタチが悪い、恐ろしいブラインドポイントだぜ・・・。

 

改めて北側へ目をやる。遮るものは何も無く、普通の1車線隧道という感じである。・・・中央に黄線が引かれていることを除けば。

 

北側は普通・・・かと思いきや

隧道を抜け、北側へカメラを向けて撮影した。路側帯を跨がなければ普通車が通行出来ないのは相変わらずで、「私有地」を示す黄線エリアには謎のオブジェが散乱している。坑口付近に至っては、隧道天井に伸びる棒が南側にあったコンクリート板を彷彿させなくも無い。こうなるともはや使用用途もヘッタクレもあったもんじゃない。土地所有者の「意地でも私有地には入らせないぞ」という気持ちが前面展開されている。土地を持ったことが無いから、僕には分からないが、譲れないものがあるのだと思う。

 

半閉塞隧道から北に少し歩くと、現道への分岐があり本線と合流する。写真に写っているのが島戸倉トンネルと書かれたトンネルだ。大型車も楽々通行出来る幅員の2車線道路、歩道もキッチリ完備されているという文句の付けようが無い立派な様相である。

 

トンネル脇に設置されていた銘板。完成は2003年8月で延長102m、幅11.75m、高さ4.7m。2車線道路かつ片側幅員5.5~5.6mの建築基準は余裕でパスしていることになる。

 

実際に車で通ってみよう

軽でもドッキドキ

よし!それじゃあ実際に車で通行してみようジャマイカ。僅かに通行箇所が残された入口へ代車ライフを進めていく。これマジで先見えないから怖いんだけど・・・。ニュッって人とか出てきたら「!!!」ってなるよ、これ。

 

いや、ほんと狭い

 

というか、狭く感じる。

 

目算2mは幅が確保されているだろうが、隧道であることもあってか、圧倒的な窮屈感がある。監視カメラが付いている訳では無さそうだが、誰が見てるか分からない。少しでも黄線を越えて、地主にナンバーを報告されでもしたら、何されるか分かったもんじゃ無い。兎に角、ここはゆっくり隧道端に沿って進んでいくしか無いな。

 

隧道を抜ける。これくらいの広さであれば、軽なら白線を踏まないで走ることは可能だ。

 

そして現国道に合流。短いながらもあんなに存在感のある隧道は始めて走ったよ・・・。

 

 

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推察~どうしてこうなった?~

コンクリートは「強風防止」?

最後に僕なりに何故こんなことになってしまったのかを考えてみようと思う。

 

こちらは今昔マップより引用した1/5000「富津」だ。測量年は明治36年。この頃から地図には島戸倉隧道が描かれており、そう考えると相当に息の長い古参隧道であることが分かる。

 

・・・って、ん?「島戸倉」隧道?

 

ここでピン来る方がいるかもしれない。そう、先程出て来た現国道127号線に造られた「島戸倉」トンネルと同じ名前が使われているのだ。このことは隧道データベースに記されている。竣工年度は1943年(昭和18年)であるが、恐らく現在のようにコンクリートポータルになってからだ。明治36年当時は素掘の隧道であったと思われる。延長としては82m、幅員5.6m、高さ3.3m。現国道に造られた島戸倉トンネルと比較すると随分小ぶりであることが改めて分かるはずだ。

 

また、国道として昇格したのが1953年(昭和28年)。館山市と千葉市を結ぶ二級国道としての道路である。その後1963年(昭和38年)に千葉市から木更津市が一級国道である16号線に変更され、残りの木更津市~館山市が二級国道127号線に変わる。最終的に1965年(昭和40年)に道路法が改正となり、一般国道127号線に変更され現在に至る。ということは、明治36年時点では国道では無く、県道あるいは里道として運用されていたことになる。恐らく当初から物流運搬としての重要な役割を担う道路だったと考えられる為、県道だったと推測する。

 

同じく今昔マップより1/50000「富津」で昭和55年に修正された地図だ。既に一般国道127号線として制定されており、旧道である島戸倉隧道、現道である島戸倉トンネルが共に描かれている。

 

現道の島戸倉トンネルは1943年(昭和18年)に竣工され、その後2003年(平成15年)に改修され現在の姿になった。2003年の改修工事の際、交通に支障をきたすということで、一時的に旧道となった島戸倉隧道の拡幅工事が行われ、歩道が設けられた隧道に一時的だが変更されたのである。当時の様子は山さ行がねがさんの記事に載っている。

 

恐らく、問題はその時発生した。拡幅工事を行うにあたり、土地所有者から広げる為の土地を買う事になった。しかし、土地所有者はそれを良しとせず、断固拒否した。このままでは交通に支障が出るということで、工事関係者は必死に説得を行い、何とか一時的に土地を「借りる」ことに成功した。そして島戸倉隧道の拡幅工事が無事終わり、島戸倉トンネルの拡幅工事に着手、現島戸倉トンネルが完成したのである。

 

しかし、工事が終わり土地を返却されたが、今更広げた隧道を埋め戻して元のサイズに戻すというのも土台無理な話である。仕方なく、土地所有者は「私有地」と書かれた黄線を引き、明確な線引きを行った。加えて隧道から吹いてくる風が強かった為、私有地である側をコンクリートで塞ぎ、現在の島戸倉隧道となった、というのが考えられるストーリーだ。ちなみに「風が強い」という下りは、土地所有者からの話であるので信憑性は充分だと考える(もしかしたらもっと深い理由があるのかもしれないが・・・)。

 

以上が今回のレポート、半閉塞隧道である島戸倉隧道の仮定真相だ。まだまだ房総半島には僕の知らない深い謎に包まれた物語が眠っていそうである。

 

 

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