【新潟県】【覆道】目を奪われる程美しい神殿回廊!東赤谷連続洞門をアウディTTで通過せよ!

【新潟県】【覆道】目を奪われる程美しい神殿回廊!東赤谷連続洞門をアウディTTで通過せよ!
 

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神殿回廊

 

神殿で見られる部屋と部屋を繋ぐ為の廊下のことである。

 

長い歴史を持つヨーロッパでは遺跡に行けば普通に見ることの出来る神殿回廊だが、日本ではそうそうお目にかかれるものではない。

 

その荘厳さと秀麗さは多くの人々を惹き付け魅了する。似た光景でも良いから一目見てみたい、と思う人は少なくないはずだ。

 

では、そんな神秘的な光景が新潟県をあるのをご存知だろうか?

 

東赤谷ひがしあかたに連続洞門

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

地図リンク

かつて新潟県新発田しばた市には赤谷鉱山という鉄鉱石を産出する鉱山があり、そこから東赤谷駅まで鉱山軌道が敷かれていた。日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道のことだ。

 

東赤谷駅は現在では廃止路線である赤谷線の駅名であり、日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道が分岐、赤谷鉄山駅までを結んでいた。

 

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その東赤谷駅から赤谷鉄山駅までに当たる箇所に件の東赤谷ひがしあかたに連続洞門がある。

 

当時は日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線だった路線跡を転用し、現在の新潟県道335号線が通るのだが、この区間に遺跡の神殿回廊を思わせる洞門4門連続していることから連続洞門と名付けられたのである。

 

細かい歴史については後回しにして、まずはレポートに入ろう。読めば行きたくなること間違い無しだ。

 

田舎道に酔いしれる

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現在地は新潟県道335号線。洞門のある県道上である。

 

この日不知火は朝イチで阿賀野町にある持倉鉱山跡を探索し、その足で新発田市へ北上、洞門群を目指していた。鉱山探索を終えて直で相棒TTを走らせていたので、昼食すら摂っておらず、腹ペコあおむし状態。だがしかし、オイシイ景色を拝む為なら1食や2食抜く程度どうと言うことは無いのだ。

 

ああ~^こころがぴょんぴょんするんじゃあ~^

 

見てくれ、目先に広がる山並みを。

 

緑に彩られた山脈が連々とし、来訪者を迎え入れてくれている。

 

こんな良い景色に突っ込んで行ける県道、ああ、田舎素晴らしきかな・・・。

 

道幅は狭くなりセンターラインが消える。

 

とはいっても、対向車とすれ違う分にはさほど困ることは無い。

 

シンプルに良い道。

 

バックにチラリチラリと見え隠れする飯豊いいで山地が兎に角良い。スパイスを与えてくれており、走りを飽きさせない。

 

路面の凹凸も少なく、鉄道の道が県道に転用されたこともあって大きなカーブが無いことも走りやすさの一つだろう。

 

おっと、右手に怪しげな封鎖林道・・・。

 

こちらは林道鳥越線。入口前の看板を見る限り、大型車が通行する為、一般車は通行禁止となっているらしい。・・・林道の道幅で大型車が通行出来るかどうかは甚だ疑問だが。

 

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また、爼倉山まないたくらやまへの登山道になっているらしく、登山者はここからアクセスするのだとか。恐らく先の写真で止まっていた車は登山に来たのだろう。

 

更に県道前にもゲート。開いてはいるが。

 

連続雨量80mmで通行止。一般的に100mm以上なところが多いがそれ以下ということはかなりシビアな数字と言えるな。

 

冬場は積雪により冬期通行止が掛けられることもあるから冬場はここで門前払いを受ける、のだと思う。

 

んほっ!何か見えて来たぞ!

 

さっきまで田舎ののほほんとした空気を感じていた不知火だが、突如目の前に現れる薄暗い物体に軽くドキリとする。

 

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現在地。ここまで路面も道幅も何ら困る箇所は見当たらない為、苦すること無くここまで来た。

 

洞門だ、それもコンクリート製。つまるところここから・・・連続洞門がスタートする。

 

坑口からして古めかしさが漂っている。これは内部も大いに期待出来そうだと見た。

 

そしてそれは・・・もはや期待以上の光景だった。

 

荘厳妖艶、神殿回廊

垂涎の遺跡洞門

黒くすすけた天井、薄ら照らす陽光、神殿思わせる回廊・・・。

 

麗しい。これはもはや・・・遺跡。まるで往時に今で言うえを意識して建築したのではないかと思ってしまうほど端正な造り。

 

何とも目を奪われる光景で、もし歩道付きで、ゆっくり佇んでいられるなら・・・何時間でも眺めていたくなる。

 

1本目は距離も短く、あっという間に通過してしまう。だがその先には間髪入れずに2本目がお見えになる。

 

そして信号機と停止線付き。交互通行洞門である。

 

サブミニミッション:信号機が感応式か間隔式か調査せよ!

停止線にて停止してから赤の内に素早く撮影。

 

ここで信号機を見ていてふと感じた疑問。それは洞内に車が残っていてもになるのかどうか。

 

感応式であれば車が通過しきるのを待ってから青になるだろうが、単なる間隔式であれば洞内に車が残っていても内部でこんにちはすることになる。

 

そんな細かいことどこにも書いてないので、ちょっと調べてみたい。だがそんなタイミング良く対向車が現れるかどうか・・・。

 

ひとまず青になったから進んでみるかな。

 

まあ今のところ滅多に車通ってないから洞内鉢合わせ案件もまず起こらないだろうが。

 

・・・と、1秒前の不知火は思っていた。

 

はいっ、事象発生!

 

まさにドンピシャ。狙ったかのように洞内に残っていた対向車がいらっしゃったのである。

 

素早くRシフトし、道を譲る。

 

気が付いたらもう信号は黄色に変わっていた。早い・・・。

 

ともあれ、信号機は感応式ではなく、時間によって無作為に切り替わっている間隔式であることが証明されたな。

 

再度停止線まで戻り、じっと待つ。

 

青の時間は一瞬に感じられたのに、赤の時間ってなぜこんなに長く感じるのか。

 

さて、二度目の正直、今度こそ第二洞門へ突入する!

 

長大、古代、幻想洞門

先の見えない長路、古めかしくも艶かしい内装、昼なお薄暗い光量・・・。

 

そう、これはもはや・・・・・

新潟県道335号線「キミに魅せてあげるよ・・・領域展開、夢古洞貫或むこどうかんいき・・・」

ブ・・・ンッ・・・

突如不知火の眼前に見たことの無い風景が広がる。

不知火「これは・・・!?な、なんだ、脳内にあった洞門のキオクが・・・瞬時に書き換えられた・・・だと・・・?」

新潟県道335号線「驚かせてしまったかな?ボクの術式は足を踏み入れた皆の・・・いや、この場合キミだね。洞門という概念そのものを書き換え、脳裏に刻み付けることが出来るのさ」

不知火「バカな、たったこの一瞬で、リライト、された・・・?それに・・・」

それに、それだけではない。身体の芯から込み上げてくる、不思議な居心地の良さ。

不知火「僕に・・・何をした・・・?」

次なる目的地を目指さねばならないというのに、身体が、本能が、洞門から出ることを拒んでいる。

新潟県道335号線「ああ、言ってなかったね、この領域内にキミが来た時点でキミはボクの虜、抜け出せなくなってしまうんだ」

言葉はまさに現実に。気が付くと不知火は「沼」に堕ちてしまい、なされるがまま、身を委ねているのであった・・・・・。

※補足
新潟県道335号線(CV:石田彰)

・・・という(誰得な)妄想はさておき、巷で神殿回廊と呼ばれる理由をハッキリと理解した。

 

こんなにも荘厳妖艶な洞門を秘めた県道が日本の新潟県に眠っていたとは・・・。遺跡マニアは勿論のこと、そうでない方にとっても感動すること間違い無い。

 

洞門そのものが現代に生けとし生ける古代遺跡。

 

もしくは遺跡と遺跡とを繋ぐゲート。

 

写真だけでも充分な程の圧を秘めているが、やはり実際に赴き、その目で迫力を感じ取って頂きたい。

 

出口が見えてくる。

 

時間にして僅か十数秒。だがこれ程までに濃厚な十数秒を感じられる洞門というのは恐らく他にあるまい。

 

ちなみに第一洞門とこの第二洞門の内部には小さな分岐坑口があるのだが、どうやらすぐ近くにある加治川発電所に向かう為に設けられた人道用隧道のようだ。一帯が豪雪地帯で新潟県道335号線も冬季閉鎖になることから、発電所を行き来出来るようになっている。

 

1本目の長大な洞門を潜り抜け、目の前に2本目が出現する。

 

例によって信号はである為、一旦停止線で停車。レースのシグナルが青を変わる瞬間を待つレーサーのような心持ちで待機する。

 

114514いいよこいよ・・・準備は出来てる。

 

に変わったっ!

 

すぐさまペダルをアクセルに変え、2速にシフトアップ。ここの信号は洞内に車が残っていようが、容赦無く信号が切り替わる仕様ということは先刻熟知した為、鉢合わせることの無いよう素早く抜ける必要がある。

 

退避ポイントなんて生易しいものは存在しないからな・・・。

 

いやもうこれたまんないんだけど・・・。

 

趣味のツボ。不知火のエモーショナルポイントを鋭く射抜き爆散させていくかのような風景。

 

脳汁が止まらへん・・・。

 

もはやフィーバー状態。眼前の光景は別次元と評しても過言では無い。

 

そして3本目を抜けると4本目、ラストの洞門が姿を晒す。

 

極短・・・だがここも良質な景観を秘めているのは・・・言うまでも無い。

 

自然光が入り交じり、内部を穏やかに照らす。

 

洞門、と聞くと材質は混凝土コンクリートでデザインもシンプルなもの、というイメージが強い。だが東赤谷連続洞門は違う。確かに材質は同じ混凝土だが、デザインは美しく尖っていて、内部には蒸気機関車の煤という彩りのスパイスが効いている。

 

まさに唯一無二と称せるだろう。

日本最大の治水ダムを目指して

遺構の見え隠れする道中

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

さて、これにて連続洞門区間は終わりなのだが、折角なので一般車が通れる終点まで向かってみたいと思う。

 

終点、即ち加治川かじかわ治水ダムのことだ。

 

緩やかに左カーブを描く先の道は1車線。ご丁寧に右側には退避帯が設けられている。

 

先に続くのは1970年竣工された橋で、名を飯豊橋。その飯豊橋の左手に架かるのが、

 

赤茶けた鉄橋、飯豊川いいでがわ橋梁である。

 

全長47.4mで袖ノ沢鉄橋の別名を持ち、プラットトラスと呼ばれる形式らしく、1922年に開通した。

 

つまり軌間1067mmの日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線として赤谷鉄山駅~新発田駅を結んで開通したものの、途中の赤谷鉱山閉山に伴い19年間休止、その後1941年に赤谷鉄山駅~東赤谷駅として再開通されたのだ。

 

しかし飯豊川橋梁も、1957年に軌間610mmの鉱山用電気軌道が新たに設けられた為、自動車道路として再転用、現道の飯豊橋に切り分けるとついに廃橋になった。

 

飯豊橋を渡り切った先の左側がかつての飯豊川橋梁に続く道。

 

写真は撮ってないが、藪にまみれてパッと見では廃橋に通じる道すら見えない程だ。

 

ここで分岐。

 

右も左も特に封鎖や禁止看板が立てられている訳では無く、進行可能だが、ダム駐車場は左手。

 

右はかつての赤谷鉄山駅跡、並びに赤谷鉱山跡地とダム管理事務所へ通じている。

 

跡地と言っても、建物は全て取り壊され、更地となっている為、見に行く価値は無いだろう。

 

ここに来て初めてのヘアピンカーブ。

 

それは即ち、ここが軌道跡では無いことを意味している。当然ヘアピンなんてあったら線路から脱線してしまうからな。スイッチバックでもあれば別だが。

 

その後はストレート。

 

ヒャッホウ!ストレートだ!・・・と昔の不知火ならアクセルをブラジルまでベタ踏みしただろう。

 

エッグい高い法面だ。ガチガチに固められているところからすると、この法面は相当崩落を起こす問題児だったのかもしれないな。

 

うっすら右奥に堤体が見えてきた。

 

加治川治水ダムのご登場だ。

 

連続洞門で回れ右せずここまで来たのは、まあなんとなくダムの駐車場で一息付きたかったというのもある。

 

ラゲッジルームに常備してあるジャイアントコーン(ピリ辛)と柿の種(激辛)とじゃがりこ(サラダ味)は遠征のお供なのだ(どうでもいい)。

 

新潟県道335号線はまだ終わりでは無く、先へ進むと加治川ダムと湯平温泉へと続いている。しかしながらすぐに封鎖ゲートとご対面することになり、車両では到達不可能だ。

 

同様に右手には加治川治水ダム公園があるが、ご覧の通りバリケードで封鎖されている為、実質ここが車両通行可能道路の終点ということになる。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

現在地は加治川治水ダムの駐車場。

 

相棒TTを停め、堤体へと歩いていく。はてさて、日本最大の治水ダムはどんな塩梅かね・・・。

 

絶景纏う巨大施設

でっかい。

 

日本最大の治水ダム、加治川治水ダム。紺碧の湖水を満たすダム湖の両岸を跨ぎ堂々居留する。

 

流石は有事の際に輝く治水ダムと言うべきか、平時においてはこの水量。サーチャージ水位(100年に一度クラスの洪水が起きた際ダム湖に一時的に貯めておける限界水量)までは遥かに余裕がある。加治川治水ダムについての諸元によるとダム設計洪水位は318m。最上位に備えられたクレストゲート付近まで300m以上あるのだ。ダム設計洪水位はサーチャージ水位よりも危険なクラスの洪水を想定しており、200年に一度クラス。それってつまり今不知火がいる場所も沈むってことか・・・。

 

・・・そんなことよりもダムの背後に控える景色に目移りして仕方無いのだが・・・。

 

目移りの理由がお分かり頂けただろうか・・・?

 

麗しい新緑で飾り付けられ重なる手前の山体奥に控える残雪飯豊山地。思わず見惚れてしまう眺めである。

 

余談だが、奥の飯豊山地には福島県の県境が細長く伸びていて福島県にいながら足を開けば新潟県、山形県に両足が届いてしまうという「盲腸県境」がある。「不知火お前は何を言っているんだ」と思った方は盲腸県境で実際に足を開いた方の記事をお読み頂きたい。

 

広場・・・?

 

ダム堤体上流側、下を見やれば広く平坦な場所が目に入った。最初ダムの広場かと思ったが、周りを見てもアクセス路は見当たらない。不思議に思ったが、どうやらこの場所、日曹飯豊上流集落跡のようだ。まだ治水ダムが建設されておらず鉱山が稼働していた当初、この上流集落には鉱山事務所や選鉱所があったという。往時の姿を写真に納めている方の記事を見つけたので、写真が気になる方は参照して頂きたい。

 

下流側に回る。

 

水路にホワイトウォーターが見られるのは本ダムで運用されている焼峰水力発電所からの排水だ。河川の機能維持放流とも言う。この水力発電で、加治川治水ダムの管理所やゲート開閉時に必要な電力を賄っているという。余程水量が枯渇することでも無い限りは自前でダムの電力を補うのだろう。

 

ダム下流側近距離から目線を中望遠に移す。

 

写真中央にヘリポートがあり、その周りには何かの残骸と建物基礎と思しき盛り地、小さな家屋が見て取れる。

 

こちらは前述の日曹飯豊下流集落跡だ。下流集落には主に住居や学校が設置されていたという。

 

そのまま堤体を突っ切り、端まで行くと登山道が出てくる。

 

蒜場山→

 

・・・ふむ。

 

よく見るとバリケードにはラミネートされたペラ紙に注意書きがある。

 

「登山道が荒廃している箇所もあるため、入山される場合には十分にご注意ください」

 

蒜場山、なかなかにスリリングな山歩きになりそうな予感がした。ちなみに蒜場山山頂まで徒歩4時間40分掛かるらしい。ガチ登山をしたことが無い不知火にはその時間が長いのか短いのかはよく分からない。

 

蒜場山登山道のある側から駐車場のある側を見やれば、ダムと日曹飯豊上流集落跡が視界に入る。

 

湖底に沈むことは無かったにせよ、建物は取り壊されており往時の姿を見ることは叶わないが、耳をすませば活気に溢れる生活の音が聞こえてきたような気がした(それは幻聴です)。

赤谷鉱山と日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線の辿った不遇の歴史

では少し過去の歴史を紐解いてみよう。早速だが年表をご覧頂きたい。

1780年頃? 赤谷鉱山が発見される

1899年(明治32年) 赤谷鉱山が官営八幡製鐵所の所有となり、鉱山開発が始まる

1902年(明治34年) 赤谷鉱山の開山に向け、事務所、鉱夫長屋が建設され、鉱床開鑿に着手する

1904年(明治36年) 官営八幡製鐵所の原料(鉄鉱石)を中国の鉱山で担うことが決定し、赤谷鉱山の工事は坑道維持の鉱夫を残し中止

1922年(大正11年) 飯豊川橋梁(袖ノ沢鉄橋)が開通する/東赤谷駅から赤谷鉄山駅間が軌間1067mmの線路で専用蒸気鉄道として開通するが、第一次世界大戦の不況を受け赤谷鉱山一時閉山

1925年(大正14年) 一般利用を望んでいた地元民からの要請により新発田駅-赤谷駅は官営八幡製鐵所から鉄道省に譲渡され開通する(赤谷駅-赤谷鉄山駅までの区間は軌道撤去された)

1934年(昭和9年) 官営八幡製鐵所と輪西製鐵、釜石鉱山、三菱製鐵、九州製鋼、富士製鋼が統合し日本製鐵となる(官営八幡製鐵所は日鉄八幡製鐵所となる)/赤谷鉱山の所有権が官営八幡製鐵所から日本製鐵へ譲渡される

1938年(昭和13年) 日本製鐵が赤谷鉱山の開発に着手する

1939年(昭和14年) 日本製鐵は鉱山部門として日鉄鉱業を独立させ、日本製鐵から赤谷鉱山事業継承する

1941年(昭和16年) 日鉄鉱業により赤谷鉱山の採掘再開始、袖上平(赤谷鉱山)と東赤谷駅に軌間1067mmの日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線として正式開通する

1955年(昭和30年) 当地が豪雪地帯により冬季輸送が出来なかったが、シェルター(連続洞門とは異なる)を赤谷鉄山駅から東赤谷駅の間に軌間610mmの鉱山用電気軌道が運用開始される

1956年(昭和31年) 軌間1067mmの日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線(赤谷鉄山駅-東赤谷駅)が廃線となる

1974年(昭和49年) 加治川治水ダムが完成(時期は不明だが、軌間1067mmの日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線が新潟県道335号線に再転用される)

1975年(昭和50年) 赤谷鉱産が事業を引き継ぎ、主軸の鉱物を鉄鉱石から石灰石のタンカル加工に切り替える

1977年(昭和52年) 採算が合わず日鉄鉱業は閉業し赤谷鉱山が閉山する/軌間610mmの鉱山用電気軌道(赤谷鉄山駅-東赤谷駅)が廃線となる

1984年(昭和59年) 赤谷線(新発田駅-東赤谷駅)が廃線となる
参考サイト:赤谷鉱山と赤谷線#014 東赤谷連続洞門赤谷鉱山、赤谷鉱山軌道潤野炭鉱日鉄鉱業日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道官営八幡製鐵所日本製鐵哀愁の赤谷鉱山(3) [鉱物(新発田市・赤谷鉱山)]赤谷鉱山鉄道

年表を見ると赤谷鉱山の所有権が官営八幡製鐵所→日本製鐵→日鉄鉱業→赤谷鉱産というように移っているが、全く別の会社では無く、系列的に繋がりのある会社だったようだ。

 

官営八幡製鐵所は言わずもがな、福岡県北九州市の国内で2番目に稼働した大御所製鉄所である。その官営八幡製鐵所を含めた民間製鉄5社が統合し、1934年(昭和9年)に日本製鐵が発足。その日本製鐵が1939年(昭和14年)に鉱山部門として日鉄鉱業を立ち上げ、最終的に日鉄鉱業から分離独立したのが赤谷鉱産だ。

 

赤谷鉱産については調べても詳しい会社情報は出て来なかったが、運営されていた当時は東赤谷駅の道路を挟んで反対側にあり、赤谷鉱山では無く、別場所からトラック運搬されてきた石灰石を加工し、タンカル(炭酸カルシウム)を生成していたという。

 

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

地図参考:廃線探索 日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道哀愁の赤谷鉱山(1) [鉱物(新発田市・赤谷鉱山)]東赤谷2.5万地形図

続いて連続洞門を残す軌道跡について見てみよう。

 

元々新潟県道335号線は1922年に専用蒸気鉄道(この頃はまだ日鉄が赤谷鉱山の所有者では無い)として軌間1067mmの線路として開通した。その後鉄鉱石の採掘が中止となり、一旦廃線になるが、1925年に鉄道省管轄の赤谷線として新発田駅から赤谷駅まで再開通。1941年には採掘が再開され東赤谷駅から赤谷鉄山駅までを日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線として再度開通させる。だが冬の間は豪雪地帯なこともあり、従来の線路では利用出来ないことから、1955年に東赤谷駅と鉄山駅を新たに軌間610mmでシェルターに覆われた鉱山用電気軌道で開通させた。

 

この鉱山用電気軌道は1977年に廃止された後も1997年には県道横にシェルターが残っており、翌年1998年には跡形も無く撤去されていたという。後年に赤谷鉱山の事業を引き継いだ赤谷鉱産だが、事業継承の2年後には赤谷鉱山が閉山され、電気鉄道路線も廃線となっているが、かつて運行していた軌間1067mmの日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線が自動車用の県道に転用されたことにより、トラック運送へ切り替わり、単線の鉄道を使用する必要が無くなったのだろう。

 

赤谷鉱産は前述のように別場所から運搬してきた石灰石を加工、タンカル生成というプロセスを行っていた為、赤谷鉄山駅から伸びていた電気鉄道路線が廃止となっても影響が無かったというのも予想が付く。

 

赤谷鉱山と日鉄鉱業赤谷鉱業所専用線の辿った不遇の歴史。何気無く訪れ、眺める連続洞門の通る新潟県道335号線は壮絶な歴史の立会人であったとも言えるのではなかろうか。

 

終わりに

洞門好きは元より、多くの方に好まれるエモさ抜群の東赤谷連続洞門。

 

そのスペックは想像の遥か上をいっており、写真と文章だけでは半分も伝わらない。

 

是非とも現地に足を運び、その麗しさを間近で体感してほしい。

 

 

 

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