千葉県の人里離れた山奥に、何とも不気味で神秘的なこの世のものと思えない大楓がある。
ということを聞いたらあなたは信じるだろうか?
忘れられた廃集落
かつて君津市には追原という集落があった。千葉県道81号線と小櫃川を挟んで西側に位置し、文献によれば主に炭焼き、狩猟、木挽、農業が営まれていたようである。
住居は3棟程で江戸時代中期(1651年~1745年)頃には集落が存在し、1967年には全ての住民が小櫃川の対岸、つまりは東側に転居し廃集落となった訳だ。
その追原には「見るからに異質な楓の木が立っていて訪れると呪われる」嘘か誠かそんな噂も耳にした。
何にせよ、写真を見て行ってみたい衝動に駆られた僕は、実際に見てみることに決めた。
房総の山深さが残る地
道中は軽めのアドベンチャー
千葉県道81号線を南下し札郷トンネル近くに駐車。予め車に積んできた探索用装備を取り出し、着替えを済ませる。軽く準備運動を済ませ、まだ日が登りきらない、薄明るい小櫃川沿いの県道を北上する。
千葉県道81号市原天津小湊線と呼ばれるこの県道は千葉においては主要県道に当たり、県内を移動するに当たっても首都圏側から鴨川へ抜ける為の最短ルートで、カーナビにて鴨川を目指そうとすると必ずと言って良い程ルートに組み込まれる。
しかし黄和田畑トンネルから札郷トンネルまでの約2キロ区間はとかく酷な道であり、度々法面崩落、落石、土砂崩れといった災害に見舞われる、非常に不運な道である。だが僕がこの「秘境探索」というジャンルにハマり込んでしまったきっかけも、実はこの道路自体にあったのだが、その内容は・・・以下記事からどうぞ。
観音堂と呼ばれる小さなお堂から視線を小櫃川へ向けると一本の吊り橋が目に入る。この吊り橋こそが川を渡らず追原廃集落へ向かう為の最も一般的なルートだ。
ぶっ壊れそうな吊り橋が現れた。
吊り橋は木製で半分朽ちている状態であり、下手に衝撃を与えてしまうと今にも底が抜けてしまいそうでもある。一歩、また一歩と足を踏み出す度にギシ・・・ギシ・・・と怪しい音が聞こえ、冷や汗が止まらない。吊り橋と川との落差はさほどでもない為、最悪底が抜けて落下しても死ぬことはないにしろ、無事では済まないはずだ。
吊り橋を渡り切り、道なりに進むと林立した杉林の区間に入る。等間隔で植えられた林というのは非常に迷いやすい。コンパスが無ければたちまち方向感覚が狂わされ、行くも帰るもままならない状態になってしまうのだ。加えて林がカーテンのような役割を果たしてしまい、奥の風景が見えなくなることもある。油断は禁物だ。
追原周辺は冬を除く春から秋にかけてヤマビルが出没する「ヤマビル天国」。数秒でも足を止めようものなら瞬時に足元に取り付き、そのまま吸血可能な場所まで這い上がり血を吸い始める。1度吸われたことがあったが、ヒルジンという毒の影響で全く吸われていることに気付かないのだ。ヤマビルも寒さの残る時期には冬眠から目覚めていないので、今回の探索は3月下旬をチョイスした。
ヤマビルについての特徴と対策は以下レポートを参照して頂きたい。
と、廃屋が突如姿を現す。
建物は半壊していて、いつ崩れ落ちてもおかしくはない。木造で、必要最小限に作られた資材置き場。林業の為に使われていた作業小屋で、廃集落とは無関係である。
現在地はこの辺。
中の様子も凄まじい荒れ具合。
裏手に回り込んでもみたが、傾いていることが分かる。
っし!杉林抜けた!
作業小屋を後にし、進んで行くと小さな切通しに差し掛かった。迷いやすく厄介な杉林を過ぎてしまえばこちらのもの。ここまで来ればあとは道なりに進むだけである。
途中倒木を越えると小さな川があり、かな~り頼りないベニヤ板一枚で渡ることになる。
今にもポッキリ折れてしまいそうで、ちょっと不安。
最後は倒木のある涸れたと思しき沢を越えていく。
そして涸沢を渡り坂を登ると…
「!?」
歩き回ること30分、ついに追原の大楓が姿を現した!
神々しくも不気味な大楓
さながら神話のドリアード
「・・・・・・・。」
思わず息を飲んでしまった。
例えがたい神秘さと、言いようのない禍々しさが合わさった独特の空間。
杉が整然と植えられたその場所に場違いとも言える楓の巨木が聳え立っていたのである。
木、というよりは樹という表現が相応しく思える。
枝は天を仰ぐように横に広がり、幹は岩の如く硬くなり、全体が苔に覆われている。
一見するとさながら神話に出てくるドリアードのような外観であり、木の精霊が宿っているのでは無いかと錯覚してしまう程だ。
幹は石垣で補強されており、斜めに傾きつつもしっかりと立っていた。
この辺一帯が杉の植林地となっていて、一面杉が林立している。
そんな中この大楓だけが倒されず今もその場所に聳え立っている。
村の象徴とも言えた大楓を敢えて切り倒さず、残しておいたのかもしれない。
あまりの美しさにしばし時間を忘れその場に立ちすくみ見とれてしまった程だ。
神社の御神木や百選に選ばれても遜色無い風貌。
大楓の裏側に回り込むと窪みが出来ていて、覗き込むと空洞になっている。
2時間、3時間と、時間はあっという間に過ぎ、気が付けば昼過ぎになってしまっていた。
周辺探索
ダム水没の危機にあった追原
家屋は物置を除き全て取り壊されていて基礎が3件分確認出来るだけである。追原から僅か1.3kmしか離れていない地点にある湯ヶ滝廃集落は辛うじて1軒だけ残っている。出来れば追原の家というのも見てみたかったが残念だ。
湯ヶ滝廃集落のレポートは以下を参照して頂きたい。
集落の歴史は古く、前述した通り、江戸時代中期には既に家が建てられていたと文献には残されている。
しかし戦後復興からようやく生活も落ち着き始めた1975年、千葉県は追原を含む黄和田畑地域に巨大なダムの建設を計画。
住民にダム建設の話が伝えられたのは1982年。
追原の貴重な生態系を守りたい地域住民による反対運動が勃発する。
ダム建設の目的は洪水防止が主とされていたのだが、当時小櫃川周辺で20年近く洪水に見舞われたことは無く建設は無意味に自然破壊が行われるだけと住民は主張。
事実、小櫃川を歩いて回ると随所に川廻しが見られ、先人の知恵により水害を逃れて来たのだと思われる。
2001年に千葉県は追原ダムの建設中止を発表し、追原廃村を水没させる程巨大なダム建設は廃案となった訳である。
僕個人としてもこの神秘的な空間が湖底に消えずに残ったことは、本当に喜ばしいことだと思っている。
ちなみに廃集落から少し山を登ったところで、こんなものを見つけた。
どうやら追原ダムの基準点のようである。
ダムの知識はあまり持ち合わせていない為詳しいことは分からないのだが、水理や水文を解析する上での拠点となりダム計画に関わりの深い地点を基準点とするようだ。
3級、と書かれているが2級地点、1級地点もこのダムにはあったのだろうか?
辺りを探索した限りではこの3級しか見つけられなかった。
残された井戸。
試しに石を入れてみると数秒経ってから「チャポン」という音が聞こえてきた。
これは相当深い。こんなとこに物落としたら確実に涙目だな・・・。
墓地があった。
数はざっと30はあり、墓石には明治をはじめ、享保、延享といった僕には聞き慣れない元号も見受けられる。
上の写真は1975年2月13日(昭50年)に撮影された航空写真。
畑があったこと、3件の住居があったことなどが分かる。
しかし、その畑がでは一体何を育てていたのだろうか?
その秘密を探る鍵は廃集落に残された「ある廃機械」にあった。
畑で栽培されていたのは落花生?
廃集落には「CHIYODA」と書かれた謎の朽ち果てた機械が放置されていた。
アルファベットと形状だけでは一体何の為の機械なのかまったく想像がつかない。
しかし家に帰り、調べ上げたところ正体が判明する。
埼玉県に拠点を置く「木屋製作所」が過去に販売していた、「R23型 落花生脱粒機」というものだ。
「CHIYODA」というのがどのようなものか、詳しい内容までは分からなかったが、この脱粒機に備わった「チヨダ式」と呼ばれる脱粒方法のようである。
脱粒機という名称からも分かる通り、落花生の外側についた殻を取り除く為の機械だったようだ。
このことから、追原の畑では落花生を生産していたのではないかと推測出来る。
終わりに
「訪れたものは呪われる」
この言い伝えが嘘か誠か分からない。しかしそうなっても不思議では無いと思わせる程特徴的な外観をした大楓であった。
追原廃集落・・・。もし興味があれば是非行かれてはいかがだろうか。
終
相棒TTと撮影したオススメスポットを地図にまとめています。
良ければ愛車と写真撮影する際の参考にして下さい。
記事内にイチオシスポットも挙げて幾つか紹介しています。
今まで訪れた秘境スポットを地図にまとめています。
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僕が行ったことのある観光地をマイマップにまとめました。
観光地についてもそれなりに行っていますので是非見てみて下さい。