【東京都】【廃墟】湖岸に佇む廃索道、奥多摩湖ロープウェイ三頭山駅跡

【東京都】【廃墟】湖岸に佇む廃索道、奥多摩湖ロープウェイ三頭山駅跡


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東京都

 

・・・と言われれば大半の方は23区を思い浮かべることだろう。

 

日本の首都であることは誰もが知っていることであり、世界的にもこと経済界においては中枢を担う重要拠点であると言えよう。

 

で、あると同時に、東京都の西端には「東京の秘境」とも称される奥多摩が配されていることもまた周知の事実。

 

その奥多摩には湖岸の斜面に身を潜める、1軒の廃墟があることはご存知だろうか?

 

奥多摩湖ロープウェイ三頭山駅跡

OpenStreetMap and contributors CC-BY-SA

奥多摩湖は小河内おごうちダムという、1936年に着工し、1957年に竣工した治水施設のダム湖で、奥多摩を代表する観光名所の一つがあると同時に、主に渇水時においては東京都民にとって欠かすことの出来ない水瓶的存在となっている。

 

その奥多摩湖周辺には国道411号線及び国道139号線があり、東京都と山梨県を結んでいるのだ。

 

内、国道139号線から東に分岐する東京都道206号線は別名奥多摩周遊道路という名称が付けられており、過去有料道路であったが、現在では無料解放されており、その種の愛好家達が集うメッカとなっている。

 

そして周遊道路を走り始めてすぐ、件の物件、奥多摩湖ロープウェイ三頭山みとうさん駅跡と巡り逢うことになるのだ。

 

奥多摩湖ロープウェイは正式名称を川野ロープウェイと言って、小河内観光開発が1962年1月29日に営業を開始し、奥多摩湖を縦断するようにして北東約600m対岸の川野駅とを結び、湖上観光或いは三頭山登山客の利用を目的としたものだった。

 

当初こそ多くの利用客があり、幸先の良いスタートを切ったのだが、湖上に自動車通行可能な橋梁が架けられると利用率は激減。

 

元々高低差に乏しく、風景にもメリハリが無い為、すぐに飽きられてしまい、開業から僅か4年後の1966年12月1日には冬期休業を理由にして運行を一時停止。10年近くその状態が続いていたが、1975年3月にはついに正式な運行停止を表明し、奥多摩ロープウェイはその役目を終えた。

 

 

それから今日に至るまでの間、駅舎は手付かずの状態で放置されており、マニア達に膾炙されることとなって、別の意味で有名になり、廃墟になってからの方が価値が上がるというのは何とも皮肉な話である。

 

・・・正直に独白すると、奥多摩に廃ロープウェイがあること自体、不知火は存じていなかったのだが、フォロワーさんから寄せられた情報によってはじめて認知することになった。

 

たった数年という短い期間のみ運用され、あっという間に公の舞台から姿を消した哀れな廃墟であり、本記事が東京都内において初の探索レポートということになる。心して味わおうじゃないか。

 

滲み出る「怪しさ200%」

現在地は国道139号線、奥多摩湖上に架かる深山橋。

 

国道411号線から分岐した場合、始めに通ることになる道路部である。

 

橋部もすぐ終わり、平坦な片側1車線道路に切り替わる。

 

頭上には青看板が設置されており、直進すれば県境を経て山梨県の小菅、大月へ、左折すれば都道になって檜原、五日市へ出られる。

 

左手に現れるは都道206号線こと奥多摩周遊道路の開始点、三頭橋。

 

と、いうことで道は左折する。

 

かつて有料道路だったこともあってか、ファーストインプレッションは極めて走りやすいという印象。土日祝日にバイク乗りがここを目指して走りに来るのも納得がいくというものだ。

 

それから暫時が過ぎ右前方、何やら見るからに、な箇所が顔を出す。

 

いや、怪し過ぎるでしょ・・・。

 

もはや隠す気などさらさら無い、怪しさ:200%↑なエントランスが道路脇に待ち構えていたのである。

 

ほぼ勝確、と言った状況の中、左手に備えられた手頃な駐車場へと相棒TTを滑り込ませ、駐車する。

 

相棒TTの運転席と助手席からそれぞれ乗員が降りて、地図で再確認したのち、物件へと向かっていく。

 

不協和音放ちし異形

駐車場から徒歩1分。非常に手頃な位置取りだ。

 

ビュンビュンとバイクや自転車、車が路側帯の横を掠め過ぎて行く。

 

残された階段を見上げる。

 

右半分は植物が生い茂り、一段一段の上は泥が被さり、コンクリート部分もまた、苔によって侵食されていた。

 

何と言っても廃墟入口であることを確証させた最もたる要因はこの鉄塔だろう。

 

相棒TTを停めた駐車場付近にあり、両側に伸びたケーブル奥多摩湖と南側山奥へと続いている。

 

故に、現在地である階段を進めば、自ずと巡り逢えるはずなのだ。

 

階段は一旦踊り場を挟んだ後もう1階層、つまりは2階層用意されていて、いわば3階に到達する。

 

一見すると2階層目の方が植物の勢いが弱まった「易しい階段」に見えなくも無いが、泥はタップリ溜まっているので1階層目とそう大差無い。

 

階段が終わると土の斜面。

 

滑りやすくも急過ぎるとも言えない、ただの斜面。

 

実際不知火はグリップ皆無な普通のスニーカーだったが「ヒヤリ」とさせられるシーンは無く、楽な登り降りが出来たので、難易度は非常に低いと言えるだろうな。・・・雨や雪の日はそうもいかずステーンとすっ転ぶだろうが。

 

ところで・・・よくよく写真に目を凝らすと・・・お分かり頂けただろうか?既に不気味なナニカが写っていることに・・・?

 

ズウゥゥン・・・・・

 

という、如何にも不穏な気配を纏った、重々しき廃墟が眼前に立ちはだかる。

 

そう・・・奥多摩湖ロープウェイ三頭山駅跡である。

 

久遠と成りて残置す追憶

鈍重さが織り成す廃空間

ゾクリ・・・・・

 

不意に不知火の背筋を冷たいものが流れた。

 

斜面を登り切り、入口正面と向き合ったのだが、この光景。スピードライトのまばゆい光を使っても、鬱蒼とした木々と陰鬱な廃墟から滲む怪しさというものは隠し切れていない。

 

ゆっくりと入口の段差を跨ぎ、内部へ踏み込む。

 

ロープウェイ乗り場とトイレに通じる受付窓口があるエントランスだ。

 

内壁は色褪せ、所々に剥離及び瓦礫の散乱が見られ、廃空間と呼ぶにはおあつらえ向きな状態と言える。

 

受付の台とその奥を写した一枚。

 

ピンぼけしていて申し訳無いが、台には鋏が突き立てられ、傍らにはA4ノートとボールペンが置いてある。

 

これらは恐らく廃墟と化した後に誰かが置いたのだと思われるが、ノートには日付や名前、車種なんかが綴られていた。さながら「来訪共有ノート」とでも言うべきだろうか。

 

乗り場へ向かう方面の壁にはロープウェイの諸元表が貼られていた。

 

「奥多摩湖ロープウェイ」という名称が書かれ、索道種別の「三線交走式普通索道」の文言、更には細かい数字、の構成だ。

 

少し調べてみたが、まずロープウェイ、つまりは索道というのは、乗客を輸送する搬器を牽引する曳索えいさくと、搬器を支える支索しさくの2種類が索条さくじょう、ケーブルとして定義されており、「三線」というのは曳索と支索が計3本で構成されているということになる。

 

また、「交走式」というのは起点と終点の2駅にそれぞれ1台ずつの搬器を停留させておき、搬器1台が起点から終点を目指して移動すると、搬器もう1台も同じ距離だけ進むことになり、終点から起点に辿り着く。なので、起点に搬器1台、終点に搬器1台が停留していたとすると、2台の搬器は同時に駅を出発し、同時にそれぞれが反対駅へ到着し、また次の発車時刻に搬器は同じ道を往復するというのが、交走式ロープウェイの運行プロセスである。

 

予備知識ゼロで訪れたので、曳索と支索どちらが2本で1本かしっかり観察していなかったが、恐らくは一般的な方式とも言える2曳索、1支索なのではなかろうか。

 

受付を通り過ぎ、停留場に続く回廊を出る。

 

経年劣化は当然だが、それがまた味わい深さを増させていると言える。

 

さあ、それではいよいよ奥多摩ロープウェイのハイライトとご対面しようじゃないか。

 

朱に色差す瀟洒な搬器

目を潤すような木々の新緑、荒廃し閑散とした乗り場、錆び褪せながらも温かな色味が残る搬器。

 

何とも目を惹く光景である。

 

半世紀以上が経過し、廃墟と化しながらもその存在感足るや充分と言った感じであり、奥多摩の裏スポット第一位を名乗ったとしても、誰も疑念を抱かないであろう。

 

思いの外搬器の保存状態は良好。

 

搬器に「みとう」と書かれていこたことからも分かる通り、この搬器は「みとう号」という名称で、対岸となる川野駅には「くもとり号」が停留しているらしい。

 

三頭山駅跡に敢えて「みとう号」を停めた状態で原動機のスイッチを切ったのは、小河内観光開発が最後に見せたせめてもの計らい、とでも評するべきか。

 

搬器出入口の戸は開け放たれ、窓枠越しに「みとうさんぐち」の駅名看板が見て取れた。

 

先程受付横に貼られていた諸元の銘板には搬器乗車人数36人とあったが、どう見ても学校の1クラス分の人数が入るとは考えにくい。

 

他の方が綴られたブログにもあったのだが、恐らくは「みとう号」「くもとり号」2台の搬器を合わせた乗車人数で、1台では最大でも18人くらいといったところなのだろう。

 

哀愁漂う停留場

風化極めし壁面、憐憫の情を抱かせる看板、開放的ながらもどこか不気味に感じる乗り場。

 

普通の廃墟であれば往時の使用感というか、利用されていた頃の雰囲気が見受けられるというものだが、どういう訳かこの場所はそれを殆ど感じない。あまりにも運用期間が短く、有名になる前に棄てられてしまったこともあるとは思う。それはまるで「最初から廃墟だったのではないか」という錯覚を来訪者に与えてしまう程である。

 

外部の風が流れて来るオープンプラットホームであるにも関わらず、噂通り、成仏しきれない霊魂達が付近を徘徊しているような、そんなような・・・。

 

駅名を示す看板。

 

対岸の「かわの」まではたったの621mだが、3m/秒であるので、約3分45秒掛かることになる。

 

少なくとも不知火は奥多摩湖の風景を見ても「撮りたい」とは全く感じなかったので、ロープウェイに乗車する客も大半は退屈な3分弱を過ごすことになったはずである。ロープウェイから見える風景が普遍的なことも、廃業に追い込まれた要因の一つと言えるだろう。

 

端からアオリで停留場を撮影。

 

鉄道駅のホームと異なり、乗り場が狭くこじんまりとしているのが索道駅。廃の要素がギュギュット凝縮され、手早く徘徊出来るというのもまた、魅力の一つなのかもしれないな。

廃れた無骨な機械室

廃墟内で最後に機械室を拝んでおこう。

 

上の写真に写っていたが、「みとう号」側の奥に見えていたドアが機械室入口になる。

 

入口からすぐ、錆びを交えた車輪が出迎えて来る。

 

塗装ほ施されているが、表面の錆びが顕著に現れていて、過ごしてきた年月を物語る。

 

一歩踏み込み、内部の光景。

 

斜面のように傾斜が付いたコンクリートには巨大な円盤と金属製のアームが取り付けられており、それがプラットホームと位置を同じく左右に配されていた。

 

でかいな・・・。

 

青緑色に塗られた金属のアームも含めれば、高さはざっと6m程。アームに接続されている黒いホースはたわみがあり、ゴムで被覆されていることから、油圧式だろうか。

 

プラットホーム側にはピンと張られたケーブルが伸びていて、そのままプーリーを介して搬器へ通じている。

 

2本のケーブルがそれぞれ別のプーリーに巻かれているということは、やはり曳索が2本と見て間違い無さそうだ。

 

機械室入口付近中央にもまたプーリーがある。

 

これは恐らく左右の曳索の動きを同調させる為のブリッジ的な役割ではないか、と考える。

 

「蹂躙」されし最上階

一通り内部を見て回ったところで、一旦屋外を目指す。

 

停留場と受付を繋いだ回廊を戻りながら撮影した写真。

 

元々プラットホームは窓も無く、風が回廊を通りはするが、破壊された窓からも相まって、より一層の寂しさを纏う風が吹き込んで来ているように感じた。

 

よく整地された斜面に木が林立し、奥多摩の大自然が広がっている。

 

等間隔では無いところを見ると、植林では無く、原生林だろうか?

 

・・・なんてことをぼんやり考えていて気付いた、あれ?フォロワーさんどこ行った・・・?

 

さっきまで行動を共にしていたはずなのだが、いつの間にか姿を消してしまっている。

 

まさか・・・迷子・・・?

 

ひとまずは最上階に進む為の階段を上がってみる。

 

他所と遜色無く錆びているが、歩いた感じ、抜けそうな感覚は無く、比較的しっかりとしていた。

 

あ、いた、フォロワーさん。

 

写してはいないが、最上階に来ていた。階段の先の光景をぼんやり見やりながら佇んでいたのだった(迷子疑惑はさすがに失礼だな・・・)。

 

状態は上の写真を見ての通り。草木が伸びに伸び、廃墟の立つ地面よりもずっと植物放置地帯と化している。

 

湖面は愚か、最上階の縁すら視認することは叶わない。

 

遥か遠く感じる奥多摩の山峰を思い眺め、三頭山駅跡を立ち去った。

終わりに

関東にある廃墟の中で比較的メジャーなようでもある奥多摩湖ロープウェイ三頭山駅跡。

 

名目上運行休止という措置を取ってはいるが、その実態は完全に遺棄された廃墟で、ある種の「楽園」となっている。

 

奥多摩に築かれ観光施設としての役目を担おうとした彼の地は「憐れな夢の跡」と成り果て、今日も裏名所として密かに来訪者達を迎え入れている・・・。

 


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